冬休みの宿題などで覚えることも多い百人一首。
でも、ただの丸暗記で終わってしまって、結局意味が分からない。そんな人も多いのではないでしょうか?
今回はそんな百人一首の成立の背景を紹介していきたいと思います。
そもそもなぜ和歌がたくさん詠まれているのか
時は平安時代。電気も水道もないこの時代にはもちろん、スマホもテレビもありません。
『え、そんなの退屈すぎる。』
そう思った人、正解です。
この時代の人、特に畑を耕したりしなくても生きていける貴族というのはびっくりするぐらい暇なんです。
そんな時代、一番の遊びであり、教養であったのが和歌です。
和歌ってどんなもの?
当時の人々は、五・七・五・七・七の音の中に、自分の感情や感動、他人に伝えたいことを読み込み、優劣を競ったり、和歌を通して恋愛をしたりしたのです。
当時の人々にとっての和歌のイメージは、和風日常版ミュージカル、といったところですね。
その場で突然歌って踊ることで自分の気持ちを伝えるミュージカルのように、その場で感じた自分の気持ちを、31音の『歌』にするのです。
でも、ミュージカルと違ってそれが舞台ではなくて日常生活の中で行われていたのはとても素敵ですし、踊ることも発声して歌うこともせず、紙に書いて人に贈るというのは日本人らしい奥ゆかしさを感じますよね。
百人一首ってなに?
百人一首とは、“百”人の歌人、1“人”ひとりから、“一首”ずつ秀逸な歌を選んだ、秀歌選です。
誰がどうして100首も選んだの?
選んだ人(選者)には諸説ありますが、現在の定説では藤原定家であるといわれています。
嵯峨の山荘で隠居生活を送っていた、息子の嫁親に当たる宇都宮頼綱に、
障子に飾る和歌の選定を依頼されたことがきっかけだと言われています。
当時ってどんな時代?
当時、定家は72歳。80歳で亡くなる8年前のことです。
世情は平安の貴族の煌びやかな文化から武家社会の猛々しいものへとの変遷を遂げていく、まさに時代が変わろうとしていた転換期。
この時代に、老骨を折って百首を選んだ定家。彼が愛した美しく雅な平安貴族文化が、百人一首からは、随所に垣間見ることが出来ます。
百人一首ってどうしてこんなに恋の歌が多いの?
百人一首、百首中43首が恋の歌、32首が季節の歌です。
ほとんど半分近くが恋の歌。
女の子は恋の歌が好きな子も多いですが、男の子だと、純粋にその数の多さに疑問を感じたこともあるのではないでしょうか。
ズバリ、お答えすると、この理由は、和歌が多く詠まれた理由と同じです。この時代、電気も水道も通っていないし、ゲームもテレビもない。基本的にやることがない。
そんな時代、娯楽の1つが恋だったんですね。
源氏物語のどこか一説は、みなさん一度は読んだことがあるのではないでしょうか。
世紀のプレイボーイとして有名な光源氏が風流人であったように、恋多き人物というのは、風流のわかる教養人でもあったのです。
いかがでしたか?
私が今回の百人一首企画で伝えたいのは、和歌の奥深さと、古典という科目の面白さです。
古典が好きな人も嫌いな人も、ちょっとした暇つぶしついでに古典の魅力に触れてみませんか?
次回から、私のお気に入りの百人一首を一首ずつ取り上げていこうと思いますので、
百人一首に興味のある人はもちろん、古文の何が面白いのかわからないという人も、ぜひ読んでみてくださいね。
このシリーズ以外にも、「古文」「漢文」関係の記事がたくさんあるので、気になるものがあればぜひ読んでみてください!