【受験応援小説】それは青いハル(3月23日更新)

優花③第9話:決断

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「ねえ、優花。オープンキャンパス、行ってみない?」

季節はあっという間に梅雨から夏へと移り変わり、間もなく夏休みを迎えようとしていた。

去年までなら遊ぶ計画や部活の合宿で埋め尽くされていたスケジュール帳は、今や塾の夏期講習の予定にそっくり置き換わっていた。

「オープンキャンパス?」

栞の誘いに顔を上げると、彼女はひとつ頷いた。

「そ。併願校決めるために、私立も何校か回っておきたくて。優花も一緒に行かない? やりたいこと、見つかるかもよ」

「うん。そうだね」

優花は力なく笑った。推薦、AOなどみんなが志望校だけでなく入試方式まで決めるような時期になっても、優花はまだやりたいことを決められていなかった。私立の文系でMARCH志望、ということだけは決まっているので、とりあえず3教科の勉強を漫然と続けている日々を過ごしている。

「じゃあ、決まりね。8月の4日とかどうかな。空いてる? 結構この日、オープンキャンパスを開催してる大学多いんだよね」

「うん。ちょうど塾も休み」

「やった。じゃあ、9時に駅前で集合にしようか。講習続きでストレスもたまってるだろうし、発散しちゃおう」

「そうだね」

優花もスケジュール帳の日付のところに、「栞とオープンキャンパス」と記入しておいた。

「ねえ、栞」

栞の席にクラスメイトが近づいてきた。栞と同じく国公立志望の子だ。

「どうしたの?」

「この前の地理のテストで、分からないところがあって」

「どれどれ?」

「問3」

「あーこれはね……」

こちらに背を向けて、優花には分からない単語を使って地理の解説をしていく栞を見つめる。

1学期の間に、栞は変わった。英語の成績だけでなく、その他の成績もクラストップまで上り詰めていた。教室にいても、こうして栞に質問してくる生徒が多くなった。

(栞、頑張ってるんだな。私も勉強しなくちゃな……)

机の中にちょうどあった日本史の一問一答を取り出して、赤シートで隠しながら覚えているか、覚えていないかを確かめていく。結構前に勉強していた古墳時代などは、既に忘れていることの方が多かった。

(暑いし、眠い……)

そうして一問一答を勉強している間にも、眠気が襲ってくる。最近はいつもこうだ。勉強をし始めると、お腹が空いた、だったり眠い、だったり、色々な雑念が入り込んできて勉強に集中できない。

もういいや、とヤケになって一問一答を閉じた。

朝、自分より早く学校に来て勉強している栞は、自分が登校してきて座っても、全く気づかないくらい集中しているというのに。

そう思うと、惨めな気持ちになってきた。

どのようにすれば自分は栞のようになれるのだろう。

(やっぱり、やりたいことが決まったら勉強のモチベーションが上がるのかな)

丁寧に地理の解説をしている栞をぼんやりと見ながら、優花はそんなことを考えていた。

*****

約束の8月4日は、案外すぐに訪れた。前日までの古文の講習のせいか、頭のなかでゆかし、うしろめたし、ときめかす、と古文単語がぐるぐると回っている。

「あ、優花。こっちこっち!」

駅には既に栞が着いていた。白いワンピースを着て手を大きく振っている。

「ごめん。待った?」

「ううん。今着いたところだから大丈夫」

「じゃあ、行こう!」

「ラジャー、栞隊長」

二人が乗り込んだのは、いつも学校に行くときとは逆方向の上りの電車だった。ラッシュ時刻ではないものの、それでもやはり人が多い。電車の中には容赦なく冷房が吹き付けていて、涼しいを通り越してもはや寒いくらいだった。

「今日いく大学は、どれくらい乗るんだっけ」

「だいたい1時間くらいかな?」

「やっぱり東京は遠いねえ」

「大学に入ると、みんな通学1時間とかかかるらしいね」

「確かに。私のお兄ちゃんも、1限のときは6時くらいに家出てる」

「大学生大変だねー」

電車に揺られながら、他愛のない話を続ける。

「夏期講習、どうだった?」

「もうヘトヘト。自由英作文の講座だったんだけど、先生にダメ出しされてばっかり」

栞が肩を落として溜息をつく。終業式のときよりも目の下には色濃いクマがあり、栞は疲れているようだった。

「お疲れ様です」

「そういう優花は?」

「昨日まで古典」

「あの髭もじゃの先生の?」

「そうそう! あの先生の助動詞覚える歌が面白くって」

栞も目を輝かせて、大きく頷いた。

「分かる。あの先生の国立古典、通常授業でとってるんだけど、あれ中毒性が高いよね」

お互いの近況報告をしていると、2週間の会えなかった時間が一気に吹き飛ぶようだった。

それからも、塾の先生がどうだったとか、家でこんな面白い話があったなど話しているうちに1時間は過ぎ去り、大学の最寄り駅に到着していた。

改札を出ると、優花たちと同様オープンキャンパスに来たと思われる同い年くらいの人たちでごったかえしていた。中には制服を着ている人もいる。「○○大学はこちら」と看板を持った人がいて、その矢印に従うように列をなした人が動いている。

「あっちみたいだね。私達も行こうか」

「うん」

駅から大学までは徒歩2分とあって、駅を出るとすぐに大学の門が見えた。

「広い……」

ふたりは門の前に立ち、言葉を失った。大きな道の左右にレンガ造りの建物が並んでいて、中央には創立者の銅像がそびえ立っている。事前に調べた情報によると、その銅像とツーショットを撮ると合格できるというジンクスがあるらしく、2人と同じく受験生と思われる生徒たちが銅像の前に長い列を作っていた。

「大学、すごいね」

「うん……」

高校のように一つだけでなく、いくつもの建物が並んでいるし、その建物も大体は同じようなレンガ調のテイストでまとまっているものの、建物の新旧に差があるようだ。

「あの建物は、明治時代に造られたんだって」

パンフレットを見ながら、栞が指差した建物は大学のホームページでよく見る講堂だった。高い塔の上にはキリスト教の学校らしく十字架がそびえている。

「ねえねえ優花、模擬授業とかも色々開講しているみたいだけど、どうする?」

「どんな授業があるの?」

『模擬授業一覧』というページを見ると、経済学部や法学部など、様々な学部と授業の名前名前であふれていた。その中で、優花の目が止まったのは。

「『ソーシャルメディアから見る青少年の問題?」

学部名を横に辿っていくと、情報メディア学部、現代人間学科の授業だった。

「情報メディア学部?」

聞いたことのない名前の学部だった。パンフレットの学部紹介欄を見ると、2年前くらいにできた学部らしい。

「へえ。面白そうだね。その授業。ちょうどこの後やるみたいだよ。行ってみる?」

「うん。ちょっと興味ある」

「じゃあ、行こう。9号館だね」

「こっちの方かな?」

パンフレットの地図を見ながら、2人は並んで9号館に向かっていった。

*****

9号館に入ると、柔らかい橙色をした光が2人を出迎えた。中世風のレンガづくりの壁の上に、近代的なガラスばりの建物が重なっている。目の前には階段があり、踊り場で左右に階段が別れている。踊り場にはキリスト教にまつわる絵画が置かれていて、まるで美術館のようだった。

「こんにちは。模擬授業に参加される方ですか?」

入口で建物の広さに立ち尽くしている2人に話しかけてきたのは、スタッフというネームタグを首に下げた女性だった。茶色の髪が、肩のあたりでくるりとカールしている。

「は、はい」

「それなら、エレベーターを使ったほうが早いですよ。ご案内しますね」

そう言って彼女は階段の奥にあるエレベーターまで2人を連れて行ってくれた。模擬授業の5階の教室にはすぐに到着した。エレベーターを出ると、高校のように板ではなく、絨毯の廊下が現れた。それぞれの教室も、扉にプレートが掛かっているのではなく、横向きにおしゃれなフォントで扉に描かれている。

同じエレベーターに乗っていた人たちは、大方が同じく模擬授業目当てらしく、同じ教室に入っていった。

「大学ってすごいね。広いし、本当に高校と違う」

高校の視聴覚室のように数人が並んで座る机に座りながら、優花は栞に耳打ちした。

「本当にね。ほら、みてこの椅子。クッションついてる」

「あ、本当だ。痛くない」

ああいうところも、こういうところも違う、と2人で話し合っていると、前方の扉が開いて、スーツ姿の男性が入ってきた。ホワイトボードの前に立って、マイクの調整をした後に「こんにちは」と挨拶をしてきた。優花も軽く頭を下げた。

「皆さん、情報メディア学部へようこそ。私は教授の南沢です。早速ですが、皆さん、SNSをやっていらっしゃいますか? はい、当てませんから手を挙げてください」

優花と栞を含めたおずおずと教室の多くの人間が手を挙げた。教授は「おおー。たくさんいますね」と言って頷いた。

「今日は、そんなみなさんにとって身近なSNSの話をしたいと思います。最近は、このSNSから文化がはじまる、なんていうことも多いんですね。そもそも、みなさんは文化とはどのようにつくられていくものだと思いますか?」

*****

 

あとで時計を見ると、模擬授業は1時間ほどあったらしい。高校の学校の授業より10分遅い。けれども、その時間の長さを感じないくらい、面白い授業だった。

高校までの授業内容とは違う。「文化」という側面から歴史を横断的に見ていき、最後に現代社会を考察していくという教授の授業に、優花は気づけば必死にノートをとっていた。メモ用に持ってきた小さなノートは見開き何ページにも渡り、びっしりと文字で埋まっている。

「優花、随分楽しかったみたいだね」

9号館を出ると、栞がにやりと笑いながら優花の顔を覗き込んだ。

「うん。とっても! 私、自分のやりたいことがなんとなく見つかったかも」

「それはよかった。ねえ、この大学の周り、おいしいカフェ多いってことで有名らしいんだ。ちょっと巡っていかない?」

「いいねいいね!」

優花は手を叩いて、栞と共に9号館を後にした。彼女の心は自然と軽かった。ずっと目の前を覆っていた深い霧が晴れたような気分だった。

(私は、メディア系の勉強がしたいんだ!)

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