【受験応援小説】それは青いハル(3月23日更新)

南雲和哉①:見えない期待

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他の人に話したら、「それは自慢じゃないか」と眉根をしかめて不快な表情を浮かべるかもしれないが、昔から勉強はよくできた方だと思う。

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良い点をとると親が褒めてくれた。夜遅くに帰宅した父親に、満点のテストを見せると「よくやったな」と頭をなでてくれた。あの優しい手のためなら、点数が悪くて怒られる恐怖を避けるためなら、勉強は苦ではなかった。

それは高校まで続いた。小学校からの癖が染み付いた結果、勉強は息をしたりご飯を食べたりするのと同じくらい和哉にとって普通のものになっていた。

だからだろうか。高2になって進路について考え始めたとき、漠然と東京大学に行きたいと思うようになった。どうせなら勉強の頂点を極めてみたいと思った。

最初に進路調査を出したとき、教師は「南雲くんなら大丈夫よ」と言った。根拠のない言葉。だがそれがあるだけで救われるような気がした。

和哉自身も、「なんとなく自分なら行けるのではないか」と思っていた。学校では自分がトップだ。
今は実力不足だとしても、2月までの10ヶ月頑張れば合格できるのではないかと、そんな淡い期待を持つ自分がいた。

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窓から覗くのが桜の桃色の花から陽の光を受けてまぶしく輝く青葉にいつの間にか変わっていた。かと思ったら、5月も末日に近づいてきて、だんだんと汗ばむ天気になっていた。
和哉は窓際の席なので、開け放たれた窓からの風であおられるカーテンの攻撃を受けることもしばしばだ。

――ほら、また風が吹いて顔の前に立ちはだかる。眉根をひそめながら、手でそれをおしのけた。

「皆さん席に着きましたねー。今日は模試の結果を返しますよ」

終礼の時間、遠藤先生が教室に入ってくると出席番号順に生徒を呼び始めた。4月の終わりに学校受験をしたマーク模試の結果が返ってきたのだ。

皆が先生の前に列をなし、結果を受け取っては席に戻っていく。

手で丸めた結果表を覗く生徒の表情は悲喜こもごも。クラスのあちらこちらで「うわー」とか、「やばい」とか声が上がりだす。和哉も緊張を感じながらそこに混ざった。

「南雲くん」

「はい」

かすれ声で返答すると、模試の結果が手渡された。遠藤先生の顔を恐る恐る伺うと、そこには少し悲しそうな顔があった。じくり、と胸が痛む。

席に慌てて腰掛けて、食い入るように結果を見詰めた。学年順位は250人中1位や2位。しかし、下に記載された全国での大学の合格可能性は――。

(東大、E判定……)

しかも、E判定でももうすぐD判定、ではないE判定。下から数えたほうがはやい。先程の遠藤先生の、何かを我慢するような、辛そうな顔が脳裏を過ぎった。

体中からすうっと血の気が引いていくような感覚に襲われた。

「志望校いまいち決まらなくて適当に選んだら、詰んだ……」

隣りに座っている小川優花が文字通り机に突っ伏している光景が横目に入った。彼女の前の席の神崎栞が優花の模試の結果を「見ていい?」と自分の方へ向ける。

「どれどれ? ――全部バラバラじゃん! 文学部に政治学部に……」

栞が目を丸くすると、優花はうなだれながら答えた。

「まだどこ行くか決めてないし、取り敢えずいろんな学部って思って……」

「そうしたら志望校判定の意味がないってば」

「ねえ、南雲くんはもう決めたの? 行きたい大学とか」

突然こちらに話題が向いて、和哉はびくりと肩を震わせた。栞が大きな瞳をして、興味津々そうに尋ねてくる。

「あ、ああ。まあ、なんとなくは」

ぎこちない答えしか返せなかったが、それで彼女は納得したようで、「ほら」と再び優花の方に視線を戻す。

「優花も南雲くんを見習いなよ、ツメの垢でも煎じてもらってさ」

「はーい……」

「やべえよ! オールE判定!」と大声で模試の結果を公表する大樹がそこに来て、続いていく3人のやり取りを聞きながら、あらためて自分の模試の結果を見返した。相変わらずそこには、感情の篭っていなさそうなゴシック体で「E」と表示されているだけだった。

重い足取りのまま帰宅すると、ドアの音で気づいたエプロン姿の母親が「おかえりなさい」と夕飯のおいしそうな匂いを連れて出迎えてきた。
「うん」

和哉の口から出てきたのは覇気のない返事。母親の顔を直視できなかった。自分の落ち込んでいる顔を見たら絶対に「どうしたの」と尋ねてくるに決まっているからだ。

素直に模試の結果を見せられない。親がこの結果を見たら、一体どういうリアクションをするのか。

再び、遠藤先生の表情が脳内でフィードバック。カバンの持ち手の部分をを強く握った。

「ご飯まで勉強してくる」

和哉が部屋のある二階へ上るため手すりに手をかけながら言った。

「そう。頑張ってね」

背中に掛けられた応援の言葉は、いつもは感じない、岩のような重みを伴って自室に入るまで耳の奥でこだましていた。

部屋に入って、外界と遮断するようにドアを閉める。普段はかけない鍵もかける。

静寂が和哉を包み込んだ。明かりのついていない部屋は薄暗い。机に据え付けられた明かりのボタンを押すと、机上が白い光で照らされる。
カバンを椅子の横において、課題を先にこなしてしまおう、とファイルを取り出す。数学、現代文、古文……とプリントを出しているうちに、その間にまぎれてホチキス留めされた固い紙も彼の眼前に現れる。先程の模試の結果だった。

E判定。嫌でも目に入るその文字に、胸が痛んだ。

自分の今までの勉強は、何か間違っていたのだろうか。自分のレベルで、この大学を目指すなんておこがましいことだったのだろうか。

「何が、『南雲くんなら大丈夫』、なんだ……」

目の前にあるのは、ビリに近い方の模試の成績だけじゃないか。

『南雲くんなら大丈夫よ』『南雲くんさすが!』『南雲くんを見習いなよ、ツメの垢でも煎じてもらってさ』『南雲くんは別だよ』『頑張ってね』

みんな、自分が頭がいいと思っている。みんな、自分がいい大学に行くことを期待している。

「どうすれば、いいんだ……」

薄暗い室内に、かすれた声が落ちていった。

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