【受験応援小説】それは青いハル(3月23日更新)

第6話 和哉②:アドバンテージ

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朝の時間に、単語帳を見て勉強を始める人が増えたな、と感じたのは6月のころからだった。

関東もとうとう梅雨入りをしたらしく、雨に濡れた土の匂いの生暖かい空気が教室を満たしていた。おかげで単語帳の紙も少し湿気っていて、めくりづらい。

和哉が学校につくと、斜め後ろの席の神崎栞は既に登校していて、英単語を見ながら何やらぶつぶつとつぶやいていた。和哉が荷物を机に置くと、その音に反応した栞が顔をぱっと上げて、「あ、南雲くん。おはよう」と声を掛けてきた。

口角をあげてにっと笑う彼女に、「おはよう」と小声で挨拶を返した。栞は今勉強していたページで単語帳を伏せると、こちらへ近寄ってきた。

「ねえ、少し聞きたいことがあって。南雲くんって、○○塾の小林先生の授業、取ってたりする?」

「ああ。英語の先生だろ?」

「そうそう。ねえ、教え方うまい? 私、その先生の難関国立英語の授業取ろうかと考えてるんだけど」

「予習が厳しいけど、その分実力はつくと思う」

「ほうほう。さすが南雲大先生。参考になります」

茶化すような口調でスマホにメモをしている栞を見ながら、「神崎も塾、通い始めたのか」と尋ねると、彼女は「うん」と頷いた。

「私も最近○○塾に通い始めたの。この前、自習室で南雲くん見たよ。今度また会ったらよろしくね!」

栞は軽く手を振って、自身の席に戻る。

途端に真剣な表情になって、単語帳をめくりはじめた。和哉の隣の生徒も、塾の予習課題をノートに解いている。

みんな、受験勉強を始めだしている。それをひしひしと痛感した。自分は高校2年の秋ごろから始めたから、まだアドバンテージがある。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて英文読解の参考書をめくる。

けれどどこかで、『ほんとうに? ほんとうにアドバンテージはあるのか?』そうささやいてくる自分の声も確かに感じていた。

********

6月下旬。梅雨は一向に明ける気配がない。

合唱祭が近づいてきて、高3生最後の行事だからと少し浮かれるような空気が教室中に漂っている中、「みなさん受験生なんですからね」と授業は粛々と行われ続けていた。

和哉の通う高校は、国公立志望と私立志望で授業が別れることが多い。地理の授業は入試科目の都合上、国公立志望が選択することが必然的に多いため、他人の志望校がなんとなく分かる。人のまばらな教室で、斜め前の席の栞が目についた。

昼食後の授業という性質上、眠りに落ちている人も多い授業の中で、栞は前を向いてノートを真剣な表情でとっている。

失礼だが、神崎はこんなに真面目な人間だったか、と和哉は襲ってくる眠気と格闘しながら考えていた。去年は授業中にせっせと部活の内職をして、先生に怒られていた気がする。だが今はどうだろう。まるで別人のように、授業から何かを得ようとしている。

授業が終わる5分前、みんながだんだん起き出したころ、先生が論述の小テストの返却を始めた。

「今回の小テストのトップは、神崎さんです。よく書けましたね」

わっ、と教室がざわめいた。

「栞、すごい!」「ほぼ満点だ」と彼女の周りの席の人が答案を覗き込んで声をあげた。

「いやー、まぐれだよ」

と言いながらも嬉しそうな表情を浮かべる栞。和哉は自分の答案を見た。

20点満点中、6点。赤ペンで間違っている部分や、追加すべき要素がびっしりと書き込まれていた。

(どうしてだ)

和哉は戸惑いを隠せなかった。先生の論述のアドバイスは、どれも正しいと納得できる。問題は、どうして自分がその先生の模範解答に近い答案を小テストの時間中に書くことができなかったのか、だ。

今回もいつもどおり、該当する範囲を一週間前から読み込んで、論述できるように練習をしていた。論述のいい練習になるからと手は抜いていなかった。

だが、自分はできなかった。

一方、栞はできた。

負けた。

自分は、負けたのだ。

逃げるようにファイルに答案をしまうけれども、模試のE判定の文字と、6点が重なって、彼の頭のなかで存在を主張し続けていた。

次に返却された英語の中間テストでも、同じことが起こった。和哉は今まで英語が得意だったので、誰にも英語のトップは譲ったことはなかった。

だが、今回そのトップに神崎栞が躍り出た。英語が苦手だった筈の栞が! と教室にどよめきが起こった。「失礼な〜」と頬を膨らませて反論する栞。

和哉は背筋に冷たいものが走るのを感じた。80点。2年生のときのテストよりも10点近く下がっている。特に勉強法を変えたわけでもないのに、なぜだろう。

視界が暗くなる。栞の周りに集う生徒たちの背中から、「南雲くんじゃないんだね」「南雲くんって案外、できない人間なんだね」という視線を感じた。それが怖くて、和哉はうつむいた。

『アドバンテージなんて、ない』

また自分の声が囁いてきた。

2年生から自分は大学受験に向けて勉強をはじめてきた。だが、そんな時間の差は圧倒的なコツ・効率の良さで埋められてしまうのだ。

――では、どうすればよい? 頭のなかで自分が囁いてくる。

そうだ。

効率の良い勉強を知ればいいんだ。

********

ドン、と和哉は勉強机の上に書店の袋を置いた。『偏差値10上げる勉強法』『東大合格法』『数学勉強法』……。どれも本屋で帰り道に購入したものだ。

机の明かりをつけて、開いてよみ始める。重要なところはメモできるように、右手にはペンを持ち、ルーズリーフを広げた。

「英語は長文を1週間5長文読んだほうがいい」「カフェで勉強するといい」「ノートは綺麗にとるべき」「参考書は1冊を完璧にしろ」……。今まで自分がやっていなかったことを和哉は書き続けた。

(合格しなきゃ)

母と、クラスメイトたちの「東大に合格するんだろう」という期待の眼差しが思い起こされた。和哉はインターネットも傍らに、効率の良い勉強法を調べ続けていた。

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