インダス文明(前2300〜前1500
インダス文明は前2300年頃からインダス川流域に成立した農耕文明です。先住のドラヴィダ系ドラヴィダ人が建設しました。
インダス文明の遺跡としてはモヘンジョ=ダロ(下流)、ハラッパー(中流)、ロータル、ドーラヴィーラーなどが有名です。
・上下水道、公共浴場などの整備された都市計画
・神殿、王宮などの遺跡は発見されず
・青銅器の使用 ※鉄器は使われていない
・印章、インダス文字の使用
その後、前1800年頃から衰退しはじめ、前1500年頃には滅亡してしまいました。(諸説あり)
ヴェーダ時代(前1500/前1200〜前600)
前1500年頃にインド=ヨーロッパ語族のアーリヤ人(遊牧民族)がカイバル峠を超こえてパンジャーブ地方に侵入しました。
ここからが本格的な古代インド史のスタートです。
彼らは自然(山、太陽、大地、雪など)を神として崇拝し、神々への賛歌や儀礼を聖典『ヴェーダ』にまとめました。特に、最古のヴェーダは『リグ=ヴェーダ』と呼ばれます。
この信仰がバラモン教に発展していきます。
前1000年頃からアーリヤ人たちはガンジス川流域にも進出していきました。その頃から鉄器の使用もはじまりました。
鉄器の使用は、農業生産力の向上と征服活動の展開を招き、階層化が進展していきました。
先住民に対するアーリヤ人の征服活動の過程で成立した4つの階層からなる身分制度。その後、約3000のジャーティに細分化されます。(ポルトガル語ではカースト)バラモン:司祭(宗教を支配)
クシャトリヤ:貴族、武士(政治、軍事を支える)
ヴァイシャ:庶民(農民、商工業者などであり、経済を支える)
シュードラ:奴隷
聖典『ヴェーダ』に基づく祭式を重視した自然神を崇拝する多神教。バラモンが『ヴェーダ』の知識を独占したため、バラモンが絶対的権威を持つようになってしまいました。のちに祭式万能主義(形式主義)に傾倒しました。
都市国家の成立と新思想(前6c〜)
経済活動の進展を背景とする人口増加により、都市国家が成立するようになり、マガダ国やコーサラ国が繁栄するようになりました。
その後、マガダ国がコーサラ国を併合し、ガンジス川流域に勢力を拡大します。
このように、この頃から都市国家間で激しい攻防が繰り返されるようになり、政治力、軍事力、経済力の重要性にインドの人々は気付き始めます。また、同時に絶対的権威を握ったバラモンへの不満が高まりはじめたことから、政治力、軍事力、経済力的に手腕を持つクシャトリヤ、ヴァイシャが台頭します。
そして、形式主義に傾倒したバラモン教への批判、反省から新思想も誕生しました。
輪廻転生(「業(カルマ)」からの影響で永遠に生死を繰り返す)の苦しみからの解脱を解く。
ブラフマン(梵、宇宙の根本原理)とアートマン(我、人間の本体)の一体化による解脱を解く。
・クシャトリヤ出身のヴァルダマーナ(尊称:マハーヴィーラ)が創始
・苦行を重視
・極端な不殺生主義
・ヴァルナ制度を否定
・ヴァイシャ(特に商人層)からの支持(最も不殺生主義も守れるから!)
・クシャトリヤ出身、シャカ族のカピラ国の王子、ガウタマ=シッダールタ(ブッダ)が創始
・八正道(八つの正しい道)と四諦の実践による輪廻からの解脱を説く
・ヴァルナ制度を否定
・クシャトリヤ、ヴァイシャからの支持(仏教教団サンガの成立)仏教はブッダの死から約100年後に仏教教団が教義の解釈などを巡って諸派に分裂しました。※上座部仏教:修行僧自身、個人の解脱を目指すもので、東南アジア(タイ、ビルマ)などに伝わったため南伝仏教とも言われます。大乗仏教を信仰する人々からの蔑称として小乗仏教とも呼ばれました。
※大乗仏教:全ての人々を救う衆生救済を目指すもので、菩薩信仰(菩薩=修正救済を目指す修行僧、人々を救うことで修行僧自身も救われるとする)が中心思想です。中央アジアから中国、朝鮮、日本に伝わったため北伝仏教とも言われます。 東南アジア(ジャワ、スマトラ)にも伝わりました。大乗仏教についてはナーガールジュナ(竜樹)が教義を確立し、『中論』を著したことも覚えておきましょう。
マウリヤ朝(前317〜前180)
アレクサンドロスの大王の侵入後、チャンドラグプタがインド最初の統一国家となるマウリヤ朝をマガダ国ナンダ朝を倒して、パータリプトラを都に創始しました。
マウリヤ朝最盛期の頃の王。彼はカリンガ国を征服する際に多くの殺伐からの心痛で仏教に帰依するようになりました。アショーカ王の行った仏教政策↓
・仏教の教える道徳であるダルマ(法)によって国を統治
・石柱碑、磨崖碑を全国に建立
・ステゥーパ(仏塔)の建立
・第三回仏典結集を上座部仏教の経典を中心にパーリ語で行った
・セイロン島(スリランカ)への布教
アショーカ王没後、サカ族やバクトリアなどの侵入が激化し、マウリヤ朝は滅亡しました。
インドはこれ以降、西北・北インドと南インドとで独自の歴史が展開されます。
クシャーナ朝(1〜3c)
中央アジアのイラン系クシャーナ族が大月氏の支配から独立してインドに侵入し、クシャーナ朝を創始しました。
クシャーナ朝最盛期の王。ガンダーラ地方の中心都市であるプルシャプラに遷都しました。
また、第四回仏典結集を大乗仏教の経典を中心にサンスクリット語で行いました。
・ヘレニズム彫刻の影響を受けた仏教美術
・大乗仏教とともに中国、朝鮮、日本に伝わる
・敦煌、雲崗、竜門の石窟寺院の仏像や、日本の飛鳥文化に影響
クシャーナ朝はササン朝ペルシア(シャープール1世)の攻撃で事実上崩壊し滅亡しました。