世界史解説【共和政ローマ】

はじめに

こんにちは、ライターのしらです!

今回はローマ史の前半、共和政ローマです。
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2023.07.13

都市国家ローマの成立

前11世紀ごろイタリア半島にはインド=ヨーロッパ語系のイタリア人が南下し、前8世紀前半にその一派であるラテン人が、ティベル河畔に都市国家ローマを建国しました。

初期のローマは王政で、エトルリア人の王が支配していました。

しかし、前6世紀ごろ、ローマの貴族たちはエトルリア人の王を追放し、共和政を樹立しました。

共和政ローマでは任期1年、定員2名の執政官であるコンスルが最高政務官として政治や軍事を担当し、非常時にはディクタトルと呼ばれる独裁官が任命されて単独で政務にあたりました。

コンスル(執政官):任期1年、定員2名の最高政務官。
ディクタトル(独裁官):非常時に1名を任命。(任期は6か月以内)

こうしたコンスルなどの役職を歴任した有力貴族(パトリキ)で構成される元老院は、ローマ最高の立法・諮問機関でした。

共和政期のローマはこの元老院によって事実上支配されていたのです。

身分闘争の勃発

イタリア統一戦争に置いて重装歩兵として活躍していた平民たち(プレブス)はやがて、貴族の政治独占に不満を持つようになってきました。

その不満の高まりと同時に彼らは参政権を要求し始め、身分闘争が展開されたのです。

その結果として、前494年には平民の利益を守るための官職として護民官が設置されました。

護民官は拒否権を保持し、その後、護民官が主催する平民だけの集会として平民会が設置されました。

前450年にはローマ最初の成文法である十二表法が制定され、今まで貴族間のみで独占されていた法の内容が公開されました。

前367年にはリキニウス・セクスティウス法が制定され、コンスルのうち1名を平民から選出することや、貴族の公有地占有を制限することが定められました。

このようにして、徐々に平民に政治参加への道が開かれる中、前287年にはホルテンシウス法が制定され、平民会の決議が元老院の承認がなくとも国法となることが定められました。

この法律により、貴族と平民との法的平等が達成され、身分闘争は一応終結しましたが、ローマでの共和政ではアテネのような徹底した民主政は実現されず、結局のところ官職はノビレスと呼ばれる少数の貴族と有力平民で形成された新たな支配層によって独占されることとなりました。

イタリア半島の征服

身分闘争の終結とほぼ同時期にイタリア半島の征服事業も最終段階を迎えました。

前3世紀前半には南イタリアのギリシア植民市タレントゥムを征服し、イタリア半島を統一しました。

その後、統一したイタリア半島を統治するのに、ローマは征服諸都市を植民市自治市同盟市に分け、それぞれ待遇に差をつけることで、諸都市が団結してローマに反抗してくることを防ぎました。

この統治方法を分割統治と呼びます。

地中海世界への進出

イタリア半島の統一を達成したローマは前3世紀前半ごろから地中海世界への進出を図りました。

前246年には西地中海の覇権をかけ、フェニキア人の都市国家カルタゴと3回にわたるポエニ戦争を展開しました。

ポエニ戦争(3回ともローマの勝利)
第1回ポエニ戦争(前264〜前241):シチリア島の支配権をめぐってカルタゴとローマが衝突。ローマの勝利。ローマはシチリア島最初の属州(イタリア半島外の領土)とする。第2回ポエニ戦争(前216〜前201):カルタゴ将軍ハンニバルがイベリア半島からイタリアに侵入。カンネーの戦いではローマは大敗するものの、ザマの戦いでローマ将軍大スキピオが勝利。これ以後、ローマは東地中海に進出し、前168年にはマケドニアを滅ぼしました。

第3回ポエニ戦争(前149〜前146):ローマ将軍小スキピオがカルタゴを包囲・攻撃。カルタゴは滅亡し、ローマの属州となる。(同年にマケドニアギリシアも属州化)

平民の没落と元老院議員・騎士の富裕化

しかし、ローマの勢力拡大の背景で重装歩兵として活躍した中小農民の多くは、長年の従軍(当時、武具などにかかる戦費は自費であった)や、戦争による農地の荒廃、属州からの安価な穀物の流入、奴隷を使った大農場経営であるラティフンディアの発達によって没落し、無産市民となってしまいました。

結果、彼らはローマなどの大都市に流入し、有力政治家らは彼らの不満をそらすために「パンと見世物」を与え、彼らは遊民へと身を落としていきました。

属州の拡大によって平民らが没落する一方で、元老院議員や騎士(エクイテス)らは富裕化していきました。

元老院議員は属州経営にかかわることで財をなし、公有地を占有して奴隷を用いた大土地経営であるラティフンディアを発達させました。

騎士は、属州での税を徴収する徴税請負人となって活躍すると同時に、しばしば属州民たちから財を剥奪することによって財をなしました。

グラックス兄弟の改革

重装歩兵として活躍していた平民たちの没落によってローマの軍事力の弱体化は顕著でした。

そこで、この事態に対し、中小農民の育成と軍事力の再建を目指して立ち上がったのがグラックス兄弟でした。

彼らはともに護民官となり(兄:前133〜、弟:前123〜)、大土地所有の制限などを行いましたが、元老院側からの反発にあってそれぞれ挫折し、結果的には失敗に終わってしまいました。

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2023.08.10

「内乱の1世紀」と反ローマ闘争

ローマは無産市民から志願兵を募集する傭兵制(職業軍人制)を採用することで軍事力の再建を図りましたが、結果的には傭兵を私兵化した有力将軍たちによる権力抗争が繰り返されることになりました。

平民会を重視する平民派のマリウスと、元老院を重視する閥族派のスラとの激しい権力抗争から「内乱の1世紀」がスタートし、各地で反ローマ闘争が起こりました。

ユグルタ戦争(前111〜前105):北アフリカのヌミディア王による反乱。
同盟市戦争(前91〜前88):同盟市がローマ市民権を要求して反乱。
ミトリダテス戦争(前88〜前63):小アジアのポントス王の反乱。
スパルタクスの反乱(前73〜前71):剣奴の反乱。

第1回三頭政治(前60〜前53)

スラの後継者となり、スパルタクスの反乱の鎮圧やセレウコス朝の征服などで頭角を現したポンペイウスは、元老院との衝突を機にカエサルクラッススと提携し、3人でローマの政治を行いました。

これを第1回三頭政治と呼び、この間カエサルはガリア(現在のフランスあたり)遠征に着手して征服し、その記録として「ガリア戦記」を残しました。

クラッススパルティア遠征中に戦死すると、ポンペイウスは元老院と組んでカエサルの排除に乗り出しますが、最終的にはカエサルが勝利しました。

その後、カエサルは独裁政治を行いました。

彼はエンペラーの語源となったインペラトルの称号を獲得し、終身独裁官に就任しました。

しかし、カエサルの独裁に対し反発した共和派カエサルを暗殺したことによってローマの政治は再び混乱しました。

第2回三頭政治(国家再建三人委員会)(前43〜前36)

カエサル暗殺後の政治混乱を背景に、カエサルの養子であったオクタヴィアヌスと、カエサルの部下であったアントニウスレピドゥスが反カエサル派の討伐を目的に立ち上がりました。

そして彼らは第2回三頭政治国家再建三人委員会)を行ったのです。

レピドゥスを失脚させたオクタヴィアヌスは、プトレマイオス朝の女王クレオパトラと組んで東地中海世界に勢力を築いたアントニウスとの対立を深めました。

オクタヴィアヌス前31年アクティウムの海戦アントニウスクレオパトラの連合軍に勝利を収めました。

その翌年にプトレマイオス朝エジプトは滅亡し、ヘレニズム時代は終わりを迎えます。

そして前27年、オクタヴアヌスは元老院からアウグストゥスの称号を獲得しました。

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2023.08.24



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