世界史解説【帝国主義とアジアの民族運動】帝国主義と列強の展開②イギリス

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皆さんこんにちは。合格サプリ編集部の肯定ペンギンです。

今回は帝国主義の時代を扱います。

前回は帝国主義の内容、背景などの概説をしましたので、今回は列強国ごとに詳しい出来事を見ていきましょう。まずはイギリスから。

世界帝国として

1850~70年代は「パクス=ブリタニカ」とも称されたようにイギリスが世界の覇権を握っていました。イギリスは「世界の工場」といわれた工業力と海軍力を武器に、世界に自由貿易を広めました。

このようにイギリスが世界貿易に乗り出した背景の一つに、ナポレオン戦争があります。19世紀初頭、ナポレオンは、イギリスの財政に打撃を与えるため、大陸封鎖令を出してイギリスと大陸間の貿易を妨げ、フランスを大陸貿易の中心にしようと画策しました。

しかしイギリスは逆に、非ヨーロッパ圏への貿易を拡大して対抗しました。この波は日本にも訪れています(1808、フェートン号事件)。結果、イギリスは「パクス=ブリタニカ」を形成する地盤を固めることができたのです。

当時イギリスは世界中に植民地をもっていました。カナダやインドなどです。しかし植民地経営が財政を圧迫すると、自由貿易とも反発するようになり、植民地不要論がわきおこりました。

そこでイギリスは植民地政策を変えていきます。

非白人系植民地では直接支配を強化しました。例えばインド。1857年のインド大反乱を皮切りに、東インド会社を解散し、インドを直接支配しようとします。1877年、ヴィクトリア女王をインド皇帝とし、イギリス領インド帝国が成立しました。

逆に白人系植民地では、自治政府を認める間接支配を行いました。例えば1867年、イギリスはカナダの自治を認めました。

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帝国主義政策へ

前回説明したように、1870年代の不況とドイツ・アメリカなどの成長が合わさり、イギリスは自由貿易などと余裕をこいていられなくなりました。

保守党ディズレーリ首相を中心に、1870年代後半から帝国主義政策への変更を図ります。

  • 1875年、ロスチャイルド家の協力のもと、スエズ運河会社の株式を買収。
  • 1878年、露土戦争後のベルリン会議(ビスマルクが主催)で、キプロスを領有し、インドへの経路を確保。
  • 1881~82年、エジプトのウラービーの反乱を鎮圧し、同国を保護国化。
  • 自由党ジョゼフ=チェンバレン植民相を中心に、1890年代以降帝国主義政策をより積極的に行います。

    3度にわたりイギリス植民地会議を開き、白人系植民地の自治をより広く認めました。1867年のカナダにつづき、イギリスはオーストラリア連邦(1901)、ニュージーランド(1907)、南アフリカ連邦(1910)の自治を新たに認めました。

    一方、ジョゼフ=チェンバレンは、植民地の獲得が国内問題の解決につながると主張しました。アフリカでは、ケープ植民地政府首相のセシル=ローズが植民地拡大を進めていきます。

  • 1898年、ファショダ事件でフランスと衝突。
  • 1899年、南アフリカ戦争でブール人(オレンジ自由国、トランスヴァール共和国)を侵略。
  • 1890年代、ヴィルヘルム2世のドイツと建艦競争を展開。
  • ※ケープ植民地がいつイギリス領になったか覚えていますか?1652年、オランダが建設したケープタウンを発端とし、オランダ系白人(ブール人)が入植しましたが、1814年のウィーン会議の結果、イギリス領とされました。

    以下ではイギリスの国内問題を見ていきます。

    社会主義運動問題

    1884年の第3回選挙法改正により、労働者に選挙権が広く認められると、労働者による社会主義運動が勢いを増します。

    ※イギリスの選挙法改正は頻出ですね。

  • 1832年、グレイ首相(自由党)により腐敗選挙区の廃止とともに都市の産業資本家に選挙権を与える。
  • 1867年、ダービー首相(保守党)により都市労働者に選挙権を与える。
  • 1884年、グラッドストン首相(自由党)により、農村・鉱山労働者に選挙権を与える。
  • 1918年、ロイド=ジョージ首相(当時は挙国一致内閣でしたが所属は労働党)により、21歳以上の男性と、30歳以上の女性に選挙権を与える。男性については普通選挙の達成。
  • 1928年、ボールドウィン首相(保守党)により、21歳以上の男女に選挙権を与える。男女平等選挙権の達成。
  • 社会主義運動を時系列順に見ていきます。

  • 1884年、バーナード=ショーウェッブ夫妻らにより、フェビアン協会の発足。
  • 1893年、ケア=ハーディらにより、独立労働党の結成。
  • 1900年、労働組合の代表、フェビアン協会、独立労働党、社会民主同盟などが合わさり、労働代表委員会の結成。
  • 1906年、労働代表委員会が改称し、労働党の結成。社会民主同盟は不参加。
  • フェビアン協会に始まるイギリスの社会主義は、漸進的で過激でなく、植民地拡大も支持しました。また、議会主義の枠組みの中で社会主義の実現を目指しました

    アイルランド問題

    19世紀後半、グラッドストン首相が何度も主張したアイルランドの解放は、保守勢力の反対にあってなかなか実現しませんでした。しかし、1911年の議会法の成立により、上院の権限が制限されると事は進展し、1914年にようやくアイルランド自治法が成立しました。

    しかし、北アイルランドは独立に反対しました。1905年にシン=フェイン党が結成され、アイルランドの独立を主張すると対立が激化しました。ここに第1次世界大戦が合わさり、自治法の実施は延期されてしまいました。これに反対した1916年のイースター蜂起も鎮圧されました。

    次回はフランスとドイツを扱う予定です。それでは。