世界史解説【東南アジア古代史(カンボジア、ベトナム南部、タイ、ビルマ)】

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この記事は 2016年09月17日に更新されました。
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こんにちは、ライターのしらです!

今回は存在を忘れがちな東南アジア古代史です。
赤字を覚えましょう。早慶志願者は太字まで覚えましょう。

カンボジア・ヴェトナム南部

扶南(1c〜3c)(カンボジア)

扶南メコン川流域のデルタ地域にクメール人(カンボジア人)が1世紀ごろに建国したとされる都市国家です。

農業経営を基盤とする東南アジア最初の国家でした。

外港のオケオがローマ、インド、中国との季節風(モンスーン)貿易で栄えたことを押さえておきましょう。

その後、7世紀に真臘の圧迫によって滅亡しました。

チャンパー(2c〜15c/17c)(ヴェトナム)

チャンパーは後漢から独立したチャム人がヴェトナム南部に建国した港市国家です。

交易などを背景にインド文化を受容していました。

また、チャンパーは時代によって中国での呼ばれ名が変わります。

林邑(後漢〜唐初)→環王(唐の8世紀頃)→占城(唐末〜明)

チャンパーはその後、黎朝大越国の攻撃によって15世紀に一度滅亡しますが、残存勢力は17世紀まで存続しました。

真臘(6c〜15c)(カンボジア)

真臘メコン川中下流域にクメール人によって建国された港市国家です。

インド文化を受容し、ヒンデゥー教を国教としていました。

8世紀頃にジャワのシャイレンドラ朝に一時支配されたことにより南北で分裂しましたが、アンコール朝(9c〜15c、最盛期12c頃)が再統一しました。

アンコール朝最盛期の建築物

アンコールワット(地図で場所も確認しておきましょう) ー 国王スールヤヴァルマン2世の時代(12c)に完成したヒンデゥー教寺院。14c頃からは仏教寺院となりました。angkor-wat-temple-1159193_640

アンコール=トム ー アンコール朝の王都。13世紀頃、国王ジャヤヴァルマン7世の時代に増築が完了しました。

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タイ

ドヴァーラヴァティ(6c〜10c?)

ドヴァーラヴァティは6世紀に先住のモン人によってチャオプラヤ川下流域に建設された国家です。

上座部仏教を信仰し、唐とも積極的な交易を行いました。

ドヴァーラヴァティについては資料が少なく、まだ不明な点が多いのが実情です。

スコータイ朝(13c〜15c)

スコータイ朝タイ人スコータイ(場所チェック!)を都にチャオプラヤ川流域に建国した国家です。

ラームカムヘーン王(13c末〜)は上座部仏教を国教化し、タイ文字を作りました。

その後、15世紀、アユタヤ朝の圧迫によって滅亡しました。

アユタヤ朝(14c〜18c)

アユタヤ朝は14世紀後半にタイ人がアユタヤを都に建国したタイ史上最大の領域を支配した国家でした。

15世紀には真臘を滅ぼし、16世紀以降はヨーロッパとも積極的な交易を行いました。

17世紀前半には日本との朱印船貿易も盛んになり、都のアユタヤには日本町も形成されました。

この頃、日本人の山田長政が隣国のリゴール太守となり、日本町で活躍しました。

18世紀頃アユタヤ朝はコンバウン朝によって滅ぼされました。そしてその翌年、タークシン王が自立してトンブリー朝を一時創始しますが一代限りで滅びました。

ラタナコーシン(チャクリ、バンコク)朝(18c〜現王朝)

ラタナコーシン朝はラーマ1世によってバンコク(場所チェック!)を都に建国され、カンボジア、マレー半島にも進出しました。

ビルマ(ミャンマー)

ピュー(8c〜9c)

ピューは8世紀頃、チベット=ビルマ系の民族によってイラワジ川流域に建国されました。

この国では上座部仏教が栄えましたが、9世紀頃には南詔(中国雲南地方を支配)によって衰退しました。

パガン朝(11c〜13c)

パガン朝ビルマ人が先住のモン人を征服してイラワジ川流域に建国したビルマ最初の統一王朝です。

パガン朝は上座部仏教を受容したため多くの寺院が造られました。

また、ここでは民族文字であるビルマ文字が作られました。

その後、13世紀末に中国王朝の元(モンゴル)の侵攻によって滅亡しました。

トゥングー朝(16c〜18c)

元の侵攻の後、独立を回復したビルマ人たちは海上貿易の拠点であるペグーを都としてトゥングー朝(モン人との連合国家)を建国しました。

しかし、ビルマ人とモン人の対立から17世紀頃から衰退し、18世紀にはモン人勢力によって滅亡した。

コンバウン(アラウンパヤー)朝(18c〜19c)

コンバウン朝はビルマ人のアラウンパヤーがモン人勢力を撃退して建国したビルマ最後の王朝です。

18世紀頃にアユタヤ朝を征服するものの、19世紀に三次にわたるビルマ戦争でイギリスに敗北し滅亡しました。