はじめに:古代ギリシア史をわかりやすく解説!
みなさん、古代ギリシア史は得意ですか?
古代ギリシア史は、高校世界史で一番最初に習う分野ですが、覚えるべき内容や人名が多い難しい分野です。
世界史に慣れていないと、細かい知識の暗記に終始してしまって、「結局全体としてどんなストーリーなんだっけ?」となってしまいますよね。
そこでこの記事では、まだ古代ギリシア史が頭に入っていない人のために、古代ギリシア史の大きな流れをわかりやすく説明します!
高校1年生で古代ギリシア史を今から学ぶ人、もうすぐ世界史のテストがある人はぜひ最後まで読んでみてくださいね〜。
- 神余秀樹『タテヨコ総整理 世界史×文化史集中講義12』旺文社、2012年。
- まがいまさこ『図解 世界史[世界史徹底マスター]』西東社、2010年。
目次
古代ギリシア史をわかりやすく!
世界史を自然に頭に入れるためのコツ
古代ギリシア史の具体的な説明に入る前に、世界史の覚え方のコツについて1つ注意点を挙げておきます。
それは、「いきなり全て覚えようとせず、分野別に少しずつ覚える」ということです。
暗記項目が多い試験の直前になると、一夜漬けで乗り切ろうとする人がいますが、一晩で覚えられる内容なんてたかが知れています。
一気に全部覚えようとするよりは、分野ごとに覚える内容を分けて、少しずつ覚えていく方が効果的です。
この記事の内容も、いきなり全部覚えるのではなく、セクションごとに(例えば、「ポリスの誕生」と「アテネ」を分けて)覚えるようにしましょう。
面倒だと感じるかもしれませんが、地道に1つずつ覚えるのが結局一番の近道になるのです。急がば回れ、ということですね。
古代ギリシア史①:ポリスの誕生
紀元前20世紀から南下してきたギリシア人は、紀元前8世紀になるとポリスと呼ばれる都市国家を多数建設しました。
世界地図でギリシアの国土を見ればわかるように、ギリシアの土地はそれほど大きくありません。
そのため、ポリスが増えるに従って、徐々に土地の奪い合いが起こるようになり、土地の大きさによって国の勢力に差が出るようになっていきました。
このようなポリス同士のいさかいの中で台頭してきたのが、有名なアテネとスパルタです。
古代ギリシア史②:アテネ
ソロンの改革
多数建設されたポリスの中でも、アテネは最大規模の勢力を誇っていました。
ポリスは一般的に「貴族」・「平民」・「奴隷」という3つの身分から構成されており、政治的・経済的な権力は貴族に集中していました(例えば、政治に参加できるのは貴族だけでした)。
しかしアテネでは、商業が著しく発展したため、平民が経済的に力を持っていました。
経済力をもった平民は、自費で戦争に参加してポリスを守っていたため、「自分たちにも政治に参加する権利があるはずだ」と貴族に要請するようになります。
平民の訴えを聞いた宰相のソロンは、財産を持っている平民に参政権を与えました(「財産政治」と言います)。
ソロンはまた、平民が奴隷身分に堕ちるのを避けるため、平民の借金を帳消ししたことでも知られています。
財産政治と平民の借金帳消しを合わせて、「ソロンの改革」と呼びます。頻出なのでチェックしておきましょう。
僭主政治とオストラキスモス
長らく貴族政(貴族が主体となって行う政治体系)を採用していたアテネですが、やがて非合法に政治を取り仕切る権力者が台頭してきます。
非合法に支配権を握った権力者を「僭主(せんしゅ)」と言いますが、僭主は独裁者になるケースが多かったため、次第に問題視されるようになりました。
紀元前591年、当時政権を握っていたクレイステネスは、僭主による独裁を抑制する目的で「オストラキスモス(陶片追放)」という制度を創始しました。
オストラキスモスとは、僭主になる可能性のある人物の名前を陶片(陶器のかけら)に名前に書いて投票し、得票数が6000票以上に達した者は10年間の国外追放とする制度のことです。
オストラキスモスによって僭主は生まれなくなり、アテネは貴族制から民主制へと移行していきました。
古代ギリシア史③:スパルタ
アテネと同じく、ギリシア地方で勢力を伸ばしていたポリスにスパルタがあります。
ドーリア人国家だったスパルタでは、少数の市民が支配権を握っていました。
支配権を握った少数の市民は、一切の生産労働から解放され、重装歩兵として戦士団を形成します。
支配権が与えられなかった市民は、ペリオイコイ(市民)やヘイロータイ(奴隷)と呼ばれて差別される運命にありました。
スパルタは、厳しい差別によって国民を選抜し、厳しい教育を行ったことでも知られています。いわゆる「スパルタ教育」というやつですね。
古代ギリシア史④:ペルシア戦争
紀元前500年ごろ、ギリシアから見て東方(現在のトルコ周辺)にアケメネス朝ペルシアという国家がありました。
アケメネス朝ペルシアは、当時支配していたイオニア地方のミレトスというポリスからの反乱を受けます。
ミレトスの反乱は最終的にペルシアによって鎮圧されますが、アテネがミレトスの反乱を支援していたため、ペルシアとギリシア(アテネ・スパルタ)の間柄が険悪になりました。
その結果、ペルシアとギリシアとの間で
- マラトンの戦い
- ティルモピレイの戦い
- プラタイアの戦い
という3つの戦いが勃発しました。
結局、3つの戦いは全てギリシア側の勝利に終わり、ギリシアの自由と独立が確たるものになります。
古代ギリシア史⑤:デロス同盟
ペルシア戦争が終わった後、アテネを中心とするギリシアのポリス群は、ペルシアの脅威に対抗するべく「デロス同盟」というギリシア諸国の同盟を作りました。紀元前478年頃のことです。
デロス同盟の盟主となったアテネでは、ペルシア戦争における軍事的貢献によって平民の地位がさらに高まっていました。
そこで当時のアテネの将軍ペリクレスは、成人男子全員に参政権を与え、彼らが参加する「民会」を政治の最高権力組織にしました。
ペリクレスの改革によってアテネの民主制は完成し、アテネの勢力は全盛期を迎えることになります……!
古代ギリシア史⑥:ペロポネソス戦争
どれだけ栄華を極めた国家にも、必ず衰退の時期がやってきます。アテネも例外ではありません。
デロス同盟が作られたあと、アテネは実質的に他の全てのポリスを支配するようになりました。
当然、支配された諸国はアテネに敵対心を抱くようになります。
各ポリスがアテネに反発心を募らせた結果、スパルタを中心として「ペロポネソス同盟」が結成されました。
デロス同盟とペロポネソス同盟との間には深い溝が生じ、紀元前431年から404年にかけて両者の間で「ペロポネソス戦争」が勃発しました。
ペロポネソス戦争はスパルタ側(ペロポネソス同盟)の勝利に終わりましたが、スパルタもその後台頭してきたテーベというポリスとの戦いに敗れ、ギリシアのポリスは衰退の一途を辿ることになります……。
古代ギリシア史⑦:マケドニアによる支配
紀元前4世紀後半(紀元前350年〜)、衰退の道を歩んでいたギリシアのポリスの前に再び強大な敵が現れました。
ギリシアの北側の国・マケドニアです。
マケドニアの王・フィリッポス二世は、騒乱の時代にあったギリシアに攻め入り、カイロネイア(ギリシア南部の地域)でアテネ・テーベ連合軍を破りました。
この戦いを「カイロネイアの戦い」と言い、カイロネイアの戦いによってギリシアのポリスはマケドニアの支配下に入りました。
マケドニア王フィリッポス二世の亡き後現れたのが、今やスマホゲームにも登場するようになったアレクサンドロス大王です。
アレクサンドロス大王は、ギリシアを征服した後、東に向かってペルシアを陥落させます。
その後は西進してフェニキア・エジプトを侵略し、北アフリカからインダス川に至るまでの広大な地域を支配するに至りました。
しかし、アレクサンドロス大王によるマケドニアの支配も長くは続かず、マケドニアはプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアの三国に分裂してしまいました。
この分裂を機にマケドニアの勢力は小さくなり、代わってローマが台頭してくるようになるのですが、それはまた別の話……。
おわりに:古代ギリシア史のまとめ
いかがでしたか?
この記事では、古代ギリシア史の大きな流れをわかりやすく解説してきました。
最後に、改めて古代ギリシア史の流れをまとめておきましょう。
- ギリシアにポリスが多数誕生する。
- ポリスの中から、アテネとスパルタが台頭する。
- アケメネス朝ペルシアとギリシアが戦い、ギリシアが勝利する。
- アテネを盟主とするデロス同盟が成立する。
- デロス同盟に対抗してペロポネソス同盟が成立し、ポリスが衰退する。
- マケドニアによってギリシアが征服される。
古代ギリシアは戦争の名前や支配者の名前がたくさん登場しますが、この大きな流れを踏まえて、細かい部分を覚えてみてくださいね。