はじめに:中国・明の文化史の特徴・覚え方を徹底解説!
中国・明の文化史は、漢字が難しくて覚えるのが大変ですね。
そこでこの記事では、覚えるのが大変な中国・明の文化史を攻略するために、その特徴と覚え方を徹底的に解説します。
中国・明の文化史が次のテストの範囲に入っている人は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
- 神余秀樹『タテヨコ総整理 世界史×文化史集中講義12』旺文社、2012年。
目次
中国・明の文化史の特徴・覚え方
具体的な特徴の説明に入る前に、文化史の覚え方について1つ注意点を挙げておきます。
それは、「いきなり全て覚えようとせず、分野別に少しずつ覚える」ということです。
暗記項目が多い試験の直前になると、一夜漬けで乗り切ろうとする人がいますが、一晩で覚えられる内容なんてたかが知れています。
一気に全部覚えようとするよりは、分野ごとに覚える内容を分けて、少しずつ覚えていく方が効果的です。
この記事で紹介する覚え方のテクニックを使いながら、地道にコツコツ学習を続けてくださいね。
中国・明の文化史の特徴・覚え方①:朱子学
以下の記事でも触れたように、朱子学は科挙の中心をなす学問として、宋代以降に重要な地位を占めるようになりました。
そのため、朱子学の思想を説明する書籍もたくさん出版されました。ここでは、朱子学に関連する書籍の中から、世界史上特に重要な書籍を3点紹介します。
四書大全
まずは四書大全から。
「四書」とは、儒教の聖典である『大学』・『論語』・『孟子』・『中庸』の4つの書物を指す言葉です。
朱子学の前身である儒教は、科挙でも配点の高い科目の一つだったので、当然四書は重要な教科書として扱われていました。
しかし当時、四書を解説する公的な参考書(教科書)はありませんでした。そこで明の永楽帝が、科挙試験の公式参考書として編纂させたのが『四書大全』だったのです。
五経大全
四書大全と同様、科挙試験における儒教の公式参考書として編纂されたのが『五経大全』でした。
五経とは、儒教の経典である『詩経』・『書経』・『易経』・『春秋』・『礼記』のことです。
五経も四書と同様に重要な書籍と認識されていたので、永楽帝は科挙試験対策のために『五経大全』を編纂させました。
ちなみに、四書と五経の解釈については、『四書大全』と『五経大全』の解釈だけが正当であるとされ、他の私的な解説書は正当性を否定されてしまったと伝えられています。
永楽大典
最後は永楽大典です。
永楽大典は、永楽帝が膨大な資金と人手を注ぎ込んで完成させた百科事典です。
その冊数は1万冊以上、巻数は2万巻以上にも及ぶ長大な作品で、百科事典としては中国史上最大規模だったと言われています。
ただし、19世紀に起こったイギリスとの戦争によって大部分が焼失・散逸してしまったため、現在残っているのは60冊程度と言われています。
それにしても、1万冊以上にもなる書籍って、ちょっと想像できないですよね……。
覚え方
四書大全・五経大全はセットで覚えましょう。「四書五経」という四字熟語を何度も詠唱すれば、自然と頭に入るはずです。
あとは、四書大全・五経大全を編纂させたのが明の永楽帝だったことを踏まえれば、その関連で『永楽大典』も覚えられます。
作品とその作品に関する重要人物とをうまく関連づけて覚えるようにしましょう!
中国・明の文化史の特徴・覚え方②:陽明学・考証学
朱子学は思弁的・抽象的な学問だったので、実践よりも座学を重視していました。
しかし、国家や社会が混乱に陥ったとき、第一に必要になるのは行動です。朱子学の学者のように、始終読書と瞑想に励んでいるだけでは、社会の役には立てません。
そこで登場したのが陽明学です。陽明学は朱子学とは違って、社会的実践を重んじていました。
ここでは、陽明学の中心を成した一人の人物と、陽明学を継承した「考証学」という学問の中心人物を2人紹介します。
王陽明
まずは、陽明学の中心人物である王陽明を紹介します。
名前からわかる通り、王陽明は陽明学を創始した人物です。
王陽明の基本的な思想は、宋代に陸九淵が唱えた「心即理」(心は理性と同一である)と同じです。
「心即理」の原則に立った上で彼は、人間の心には善悪を判断する機能(=「良知」)が最初から備わっていて、その「良知」を求めなければならない(=「到良知」)と考えました。
たとえ本が読めなくても、「良知」を働かせて行動している人はいる。「良知」によって行動することこそが最良の知性である、と王陽明は考えました。
「良知」に基づく行動を最良の知性とみなす考え方を「知行合一」と言います。知行合一は現代中国の思想にまで継承される重要な思想なので、ぜひチェックしておきましょう。
顧炎武・黄宗羲
知識の詰め込みよりも行動を重視した陽明学ですが、その傾向は時代とともに強まっていき、過度に古典を軽視する学者も現れるようになりました。
行き過ぎた古典の軽視を危惧し、原典の読解に立ち返ろうとして生まれたのが考証学です。
文献の考証を重視するから「考証学」、と覚えましょう。
その考証学の基礎を作ったのが顧炎武(こえんぶ)と黄宗羲(こうそうぎ)です。
顧炎武と黄宗羲は、満州人王朝である清が台頭してくる激動の明末期に、清王朝への反政府運動に従事したことでも知られています。結果的には、いずれも失敗に終わりましたが……。
覚え方
王陽明は、「陽明学の王」と考えれば自然に覚えられますよね。
顧炎武と黄宗羲は、どちらも「こ」から始まる固有名詞なので、同じく「こ」から始まる考証学と結びつけて覚えましょう。考証学、顧炎武、黄宗羲、考証学、顧炎武、黄宗羲……。
中国・明の文化史の特徴・覚え方③:自然科学
明末には、「学問は社会に役立つものでなければならない」とする「経世致用の学」という考え方が登場しました。
この「経世致用の学」の考え方に従って、明末には自然科学が大きく発展することになります。
ここでは、明末の自然科学の発展を支えた重要な学者を3人紹介します。
李時珍
1人目は李時珍(りじちん)です。
李時珍は薬草の研究に従事していた薬学者で、1578年に中国で生息している薬草・薬物に関する資料をまとめて『本草綱目』という薬物解説書を出版しました。
古くから漢方薬を使ってきた中国ならではの書籍と言えますね。
宋応星
2人目は宋応星(そうおうせい)。
明末の地方官吏だった宋応星は、生活に密着した産業技術(農業から軍事まで)を独自にまとめあげ、『天工開物』という書籍を出版しました。
『天工開物』は、イラストが豊富に掲載されていたため、字が読めない人にもわかりやすい書籍として高く評価されました。今で言うところのハウツー本ですね。
徐光啓
最後は徐光啓です。
学者として優秀だった徐光啓は、西洋からキリスト教を伝来する目的でやってきたアダム=シャールから西洋の暦法を学び、『崇禎暦書』という暦法の書籍を著しました。
さらに徐光啓は、中国固有の農法・農学を『農政全書』という書籍にわかりやすくまとめて紹介しました。
中国の伝統的な学問と外来の学問に通じていた徐光啓は、政治家としても重宝され、最終的に内閣大学士(宰相に近い地位)にまで昇進します。多方面に才能があったのですね……!
覚え方
李時珍に関しては、「なんと珍しい草だ!」と薬草を採集する様子をイメージすると覚えやすくなります。李時「珍」の本「草」綱目、というわけですね。
宋応星は、「天に浮かぶ星」という語呂合わせを作ると自然に頭に入ります。「天」工開物の宋応「星」ですね。
徐光啓は、「の(う)せて徐行運転」という語呂合わせがあれば覚えられます。「農」(のう)政全書の「徐」光啓です(かなりこじつけですが)。
おわりに:中国・明の文化史の特徴・覚え方のまとめ
いかがでしたか?
この記事では、中国・明の文化史の特徴・覚え方について徹底的に解説しました。
文化史を覚えるときに重要なのは、前にも言ったように「いきなり全て覚えようとせず、分野別に少しずつ覚える」ということです。
急がば回れの気持ちで、ゆっくり少しずつ覚えるようにしてくださいね。
それでは!