はじめに:中国・清の文化史の特徴・覚え方を徹底解説!
中国・清の文化史は、漢字が難しくて覚えるのが大変ですね。
そこでこの記事では、覚えるのが大変な中国・清の文化史を攻略するために、その特徴と覚え方を徹底的に解説します。
中国・清の文化史が次のテストの範囲に入っている人は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
- 神余秀樹『タテヨコ総整理 世界史×文化史集中講義12』旺文社、2012年。
目次
中国・清の文化史の特徴・覚え方
具体的な特徴の説明に入る前に、文化史の覚え方について1つ注意点を挙げておきます。
それは、「いきなり全て覚えようとせず、分野別に少しずつ覚える」ということです。
暗記項目が多い試験の直前になると、一夜漬けで乗り切ろうとする人がいますが、一晩で覚えられる内容なんてたかが知れています。
一気に全部覚えようとするよりは、分野ごとに覚える内容を分けて、少しずつ覚えていく方が効果的です。
この記事で紹介する覚え方のテクニックを使いながら、地道にコツコツ学習を続けてくださいね。
中国・清の文化史の特徴・覚え方①:書籍の編纂
明の時代と同じく、清の時代にも大規模な書籍の編纂事業が行われました。
清の第4代皇帝・康熙帝から第6代皇帝・乾隆帝の時代にかけて、『康熙字典』・『古今図書集成』・『四庫全書』が編纂されました。
編纂された書籍の名前と、編纂に関わった皇帝の名前が関連づけられて出題されることもあるので、皇帝と書籍はセットで覚えるようにしましょう。
康熙字典
康熙字典(こうきじてん)は、その名の通り清の第4代皇帝・康熙帝が編纂させた漢字字典です。
1710年から1716年にかけて字典の編纂が行われ、全42巻の字典の中に4万9千字の漢字が収録されました。
字典としては最大規模の作品で、「最も完全な漢字字典」と呼ばれています。
古今図書集成
2つ目は古今図書集成です。日本古典の『古今集』と同じ漢字が使われていますが、「こきん」ではなく「ここん」と読みます。
古今図書集成は、清の第4代皇帝・康熙帝から第5代皇帝・雍正帝に時代にかけて編纂された百科事典です。
この百科事典では、古代から現在までの書籍の記事が、暦象・方輿・明倫・博物・理学・経済にジャンル分けされて一覧にまとめられています。
巻数は10000巻に及び、中国最大の百科事典と言われています。
四庫全書
3つ目は四庫全書です。
四庫全書は、清の第6代皇帝・乾隆帝が編纂させた叢書(書籍情報に関する書籍)です。
乾隆帝は、10年もの年月をかけて中国全土の書籍を調べて、その全てを『四庫全書』の中にまとめました。
巻数が延べ70000巻以上に及ぶ超大作だったので、普通に出版されることはなく、複製が7つ作成され、国家の主要拠点に保管されることになりました。
ちなみに『四庫全書』の編纂作業は、出版されている書籍の中に反政府的な書籍がないか確認する目的もあったようで、反政府的な書籍は『四庫全書』には掲載されず、焼却処分されてしまったそうです……。
覚え方
清代の書籍の編纂は、皇帝と書籍名を繋げて覚えましょう。
以下の図を見てください。
康熙帝時代に『康熙字典』があるのはいいですよね。
その後の時代に『古今図書集成』が編纂されますが、『古今図書集成』の編纂は康熙帝時代から雍正帝時代にまたがっています。
その後、乾隆帝時代に『四庫全書』が編纂されます。康熙帝→雍正帝→乾隆帝という順番を覚えて、書籍の名前が4→6→4となることを考えれば覚えやすいですね。
中国・清の文化史の特徴・覚え方②:考証学・公羊学
明代に、朱子学を批判的に継承して生まれた考証学は、清代にかけて全盛期を迎えました。
その後考証学は公羊学という別の学派に継承されていきます。ここでは、清代の考証学・公羊学を支えた人物を2人紹介します。
銭大鈞
まずは銭大鈞(せんたいきん)。清代第6代皇帝・乾隆帝時代に活躍した考証学の学者です。
同姓同名の人物に、中華民国で活躍した軍人がいますので注意して覚えましょう(世界史で銭大鈞と言えば、清代の学者を指すことがほとんどですが)。
銭大鈞によって、考証学は全盛期に達し、文献学の厳密な考証技術が飛躍的に発展しました。
康有為
清代末期、西欧列強の力が中国にも及んでくるようになると、文献研究を重視する考証学に反発する動き(文献研究より政治的な行動をより重視する動き)が登場します。
考証学に反発する動きの中で登場したのが公羊学です。
公羊学は、孔子が執筆に関わった『春秋』の解釈書『公羊伝』を分析し、孔子も政治改革を目指したことを根拠に政治改革の重要性を訴えました。
文献解釈と政治改革。どちらを優先すべきかはわかりませんが、清末に公羊学が台頭したのは、おそらく時代の流れの影響だったのでしょうね。
覚え方
銭大鈞は、「考証学を『大』成させた人物」と考えると、漢字との繋がりから自然に覚えられます。
康有為についても同様に、「政治の『為になる』公羊学」という語呂合わせを作ると、康有「為」が公羊学の学者であると簡単に理解できますね。
中国史には難しい漢字がたくさん登場しますが、うまく利用すると覚えやすくなります。ぜひお試しあれ。
中国・清の文化史の特徴・覚え方③:キリスト教の伝来
明末から清の時代にかけて、キリスト教勢力の拡大を狙うイエズス会宣教師たちが、中国にたくさん入ってきました。
宣教師たちは、文化圏が全く違う中国の人たちにキリスト教の教えを受け入れてもらえるよう、手を変え品を変え布教活動に努めました。
もちろん、全ての宣教師が中国で歓迎されたわけではありませんでしたが、中国文化とキリスト教文化が交流することで、それまでにはあり得なかった文化的発展が生まれました。
そこで、以下では清代の中国文化に新たな可能性を与えた宣教師を3人紹介します。
フェルビースト
1人目はフェルビーストです。
ベルギー出身のイエズス会宣教師だったフェルビーストは、1659年に大砲製造技術を携えて中国に入り、康熙帝時代に勃発した内乱「三藩の乱」の鎮圧に協力しました。
この功績が康熙帝に認められ、康熙帝はフェルビーストを朝廷に招いて、西洋の技術に関する講義を行わせました。
ブーヴェ
2人目はブーヴェです。
フランス出身のイエズス会宣教師だったブーヴェは、フェルビーストと同じく清の康熙帝に仕えました。
幾何学・天文学に通じていたブーヴェは、同僚のレジスとともに、中国初の実測地図「皇輿全覧図」を1718年に完成させました。
日本で言うところの伊能忠敬のような功績を挙げた人物と言えますね。
カスティリオーネ
最後はカスティリオーネです。
宣教師だったカスティリオーネはイタリアから中国にやってきましたが、彼が中国にやってきたとき、キリスト教の布教は禁止されていました。
そのため彼は、宣教師としては活動せず、代わりに画家・建築家として腕を振るいました。
建築家として彼が設計に携わった建物として、清代第5代皇帝・雍正帝の離宮である「円明園」があります。
円明園はバロック式の建築になっており、異国趣味が際立つ作品になっています。もし興味があれば、資料集などで円明園の姿を見てみてくださいね。
覚え方
フェルビーストは、名前に「ビースト」(=獣)がついているので、軍事的な破壊技術と結びつけて覚えられますね。
カスティリオーネは、名前からしてアーティスティックな感じがしますよね。
アーティスティックな感じを理解できれば、「円明園」の設計者としてカスティリオーネを覚えられます。
フェルビースト・カスティリオーネについて覚えられれば、あとはブーヴェだけです。「ブーヴェ、皇輿全覧図」と何度も唱えて頭に叩き込みましょう!
おわりに:中国・清の文化史の特徴・覚え方のまとめ
いかがでしたか?
この記事では、中国・清の文化史の特徴・覚え方について徹底的に解説しました。
文化史を覚えるときに重要なのは、前にも言ったように「いきなり全て覚えようとせず、分野別に少しずつ覚える」ということです。
急がば回れの気持ちで、ゆっくり少しずつ覚えるようにしてくださいね。
それでは!