A判定を連発して、不合格になった生徒にかけた先生の言葉

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この記事は 2016年06月28日に更新されました。

私がお世話になった先生に、寄稿していただきました。

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それは私が高校3年生の頃でした。私は一人の先生に出会いました。私のクラスの担任です。背中に哀愁の漂う、定年間近の先生でした。当時の私は粋がっていたのか、授業を真面目に出ず、外でブラブラとしていました。その先生の授業ももちろんそう。先生が教室に入ってくるのと同時に教室を出るという、今思えば失礼極まりない真似をしたこともありました。

その先生は、よくこんな話をしていました。

「生徒が志望校に落ちると、どうしても、自分がその子を落としてしまったなぁ、という気持ちになるんだよね……」

当時の私にはその意味がまったく理解できませんでした。大学受験で失敗するのなんて自己責任だ、と思っていましたから。というのも、先生に反抗的な割に、私は模試では第一志望A判定を連発し、はっきり言って油断していました。自分が受験に失敗なんてするわけがない、と。結局、最後の最後まで、私はその先生の授業に出ることはありませんでした。

試験当日。
私は今までにない緊張を感じていました。試験場へ向かう足取りは重く、寒さも相まって震えが止まりませんでした。そんな風にしてやっとたどり着いた試験場。その入り口に見えたのは、担任の先生でした。朝早くから応援に駆け付けてくれていたのです。私を見かけた先生はこう言いました。「大丈夫、君なら大丈夫だよ」

あっという間に試験は終わりました。結果は最悪。今にも雨が降り出しそうな曇り空は、私の心を表しているようでした。

「あんなに余裕ぶっこいていたのに、いざ終われば散々な結果だった。これじゃあ、みんなの笑いものになるだけじゃないか」
惨めで惨めでたまりませんでした。学校に行けば、みんなに笑われる。そんな不安が、私を学校から遠ざけました。

次の日、私は学校を休みました。
また次の日、私はまた学校を休みました。
そのまた次の日……。

とうとう、卒業式の日さえも私は学校に行くことはありませんでした。自分の惨めな姿をさらすことなんて、死んでも嫌でした。

合格発表の日、私の家に合格通知は届きませんでした。涙なんて一粒も流れませんでした。

翌日、先生が私の家を訪ねに来ました。受け取っていなかった卒業証書を渡しに来たのです。顔も合わせたくありませんでした。しばらくして、重い腰を上げて向かった先には、今まで通りの先生がいました。私の顔を見るなり、先生はこう言いました。

「お前たちが、俺の人生の中で最後の生徒だ」
 
私の目には、涙が浮かんでいました。先生は一瞬で、私の試験結果を察してくれました。
「すみません、俺のせいで……」
私が言葉をつづけようとした瞬間、彼の目にも光るものがありました。
 
私は今までのすべてを謝りたかった。もう先生には何も言って欲しくなかった。今までのことを考えれば、先生から慰めの言葉をもらう資格なんてありません。先生はおっしゃいました。

「第一志望に受からなかったといって、『自分の人生もう終わりだ』みたいに腐っちゃだめだ。俺もここまで、人生何も思い通りになったことなんてなかった。本当は、教師になんてなるつもりは全くなかった。就職活動に失敗した挙句、この学校の先生になったんだ。でも、今はこの職は天職だと思ってる。何か自分の思い通りにならなかった時、神様が自分をそっちに呼んでいると思いなさい。」

それから10年近く経ちました。
私は大学を卒業して、教壇に立っています。あの時かけてくれた先生の言葉が、天職に導いてくれました。そして先生の言った、「自分が落としてしまった」という言葉が理解できるようになりました。
そう思わなくていいように、私は生徒に対していつも全力で向き合うように心がけています。ですが、まだ先生のように強くないので、生徒の合格発表を聞く度に、涙を流してしまいますが(笑)。

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