【哲学演習】早稲田大学文学部の授業紹介

早稲田大学文学部の哲学演習とは?

哲学演習とは?

哲学演習は、ある哲学者の著作の一部分を原典で精読するゼミのことです。

ゼミとは、普通の一方通行型の講義と違って、学生と先生とのディスカッションがメインになっているもののことを指します。

「哲学」と言えば、みなさんは「神とは何か?」「世界とは何か?」というような深淵な問いを立て、難しい顔をした哲学者たちが訳のわからない討論をする学問だと思うかもしれません。

しかし、文学部で学問として哲学を学ぶ場合は、もっと地に足のついた学習をします。

文学部の「哲学演習」では、哲学史を彩る天才たちが書いた難解な著作を1行ずつ論理的に解読し、哲学者たちが言わんとしたことをできる限り正確に理解するように努めていきます。

ただ本を読むだけなのに、なんでわざわざ教室に集まって先生と議論しなきゃいけないのか、不思議ですよね。

そこでこの記事では、早稲田大学文学部の「哲学演習」の実態について筆者の実体験を基にご紹介します。早稲田大学文学部で学べる哲学に興味を持っていただければ幸いです。

早稲田大学文学部の哲学演習の授業はどんな感じ?

哲学演習は1つの哲学書をひたすら精読していくゼミなので、哲学書の種類によって演習が分かれています。

私が昨年度(2019年度)に受講したのは「哲学演習11(フランス哲学)」という哲学演習でした。

以下では、この「哲学演習11(フランス哲学)」の実態を、数ある哲学演習の代表として紹介していきます!

早稲田大学文学部の哲学演習の授業形態

哲学演習11(フランス哲学)(以下、「哲学演習」)では、基本的に平常点とレポートで成績が決定されています。

平常点は、毎回の演習にきちんと参加しているかどうか、ディスカッションで積極的に発言しているかどうかによって決められます。

レポートは、きちんと形式を守っているかどうか、十分に資料を読んで勉強しているかどうかが評価されるようです(点数がわからないので、あくまでも先生の発言からの推測ですが……)。

特にテストがあるわけでもないですし、レポートも学期末に1回提出するだけなので、比較的気楽に受けられる演習と言えるでしょう。

フランス哲学に興味があれば、ぜひ履修してみてください。

早稲田大学文学部の哲学演習の授業風景

それでは哲学演習の実際の授業風景を見ていきましょう。

2019年度の哲学演習では、エマニュエル・レヴィナスというフランスの哲学者が1947年に発表した『実存から実存者へ』という著作の第3章第1節を原典で精読しました。

『実存から実存者へ』の第3章第1節は、フランス語の原典でたった10ページくらいしかありません。この10ページの内容を、15回の講義で少しずつ確実に読んでいくのです。

具体的には、前に座っている人から順番にテキストの一文(あるいは一段落)を和訳してもらい、先生がその部分に注釈をつけ、学生からの意見を募るという形で読み進めます。

「和訳→注釈→意見」という3ステップの流れで、一見スイスイ読み進められそうですが、実はそうでもありません。

まず、演習に参加している学生は学部生なので、フランス語を習い始めて1〜3年程度の初学者がほとんどです。

ですから、最初の「和訳」のステップでかなりの学生がつまずきます。それでもみんなやる気がある学生なので、しどろもどろになりながらもきちんと和訳を言ってくれます。

仮に和訳できなかったとしても、それで先生が怒ることはありません。わからない部分は、先生が丁寧に注釈をつけて解説してくれます。

哲学演習で一番白熱するのは「意見を募る」という最後のステップです。

哲学演習で扱ったテキストの著者であるレヴィナスが書く文はとても長い(一文で7行くらいになる場合もある)ので、フランス語としての構文を正しく取るのが非常に難しいのです。

それでも正しい構文の取り方が1個に決まるなら良いのですが、たまに正しい構文の取り方が複数可能な場合があります。

正しい取り方が複数ある場合は、文脈的に自然な内容になる構文の取り方を選択する必要がありますが、何が「文脈的に自然な内容か」という問題で、しばしば議論が白熱します。

「日本語訳の構文の取り方は直前の文脈に合わないから英訳版に従うべきだ」

「いやその取り方だと結局あとの部分で齟齬をきたすから日本語版で良い」

「ならばイタリア語版のこの解釈ならどうだ」

などと、一番自然な解釈になるように試行錯誤が繰り返されるのです。

構文の解釈論争は長く続くので、時にイライラすることもありますが、1つのテキストが持っている可能性の奥深さに触れられるので、演習終了後には大きな達成感を得られます。

哲学演習に興味がある方は、語学をしっかり勉強して、是非とも解釈論争してみてくださいね。

早稲田大学文学部で哲学演習をすることについて

哲学演習の意味と効果

哲学書の原書をひたすら読む「哲学演習」について、以下のような疑問を抱えている人もいるでしょう。

  1. 哲学を研究するために、なんで既存の哲学書を精読する必要があるのか。自分の頭で考えれば良いんじゃないか。
  2. なんで原書を1行1行丁寧に読む必要があるのか。日本語でも良いんじゃないのか。

2つとも重要な疑問なので、1つずつ解説していきますね。

まずは①の疑問「なぜ既存の哲学書を読む必要があるのか」についてです。

大前提として、私たちが何の前提知識もなく考えて得られる結論は、すでにソクラテス以前の哲学者たちが言い尽くしています。

ソクラテス・プラトン以降のレベルの哲学は、天才たちが貪欲に先人たちの知恵を吸収した結果として生まれているのです。

私たちが哲学を研究する際に要求される思考レベルは、当然ながらソクラテス・プラトン以降のレベルです。

ですから、私たちは哲学書をしっかりと読んで、先人たちの知恵を吸収した上で哲学的に思考しなければならないのです。

次に②の疑問「なぜ原書を読むのか」について答えます。

原書を読まねばならない理由は以下の2つです。

1点目の理由は、「和訳には訳者の解釈が必ず入るので、和訳を読んだら、その哲学書の作者の思想ではなく訳者の思想を読むことになる」という点にあります。

例えば、上で紹介したレヴィナスの『実存から実存者へ』の元々のタイトルは “De l’existance à l’existant”で、語義的に直訳すると「存在から存在している者へ」になります。

しかし実際の和訳では「存在」が「実存」に、「存在している者」が「実存者」になっていますね。

この訳出には、レヴィナスがハイデガーというドイツの思想家から多大なる影響を受けており、「実存」はハイデガー思想のキーワードであることを踏まえた邦訳であることが踏まえられています。

このように、同じ言葉でも哲学的・哲学史的な意味を踏まえることで多様な訳出ができます。

したがって私たちは、1つの和訳を鵜呑みにするのではなく、きちんと原書を読んで和訳を批判的に検討しなければならないのです。

2つ目は、原書を読むことによって、和訳を読むよりも深く著者の思想を吟味することができるという点にあります。

和訳は日本語なので、例え著者の思想があまりよく理解できていなくても雰囲気で読めてしまうことがあります。

しかし原書は、私たちにとっては慣れない外国語で書かれてあるので、「なんとなく」では読めません。

雰囲気を掴むだけでも、1行1行辞書を引きながら読んでいく必要があります。

ですから、原書を読んでいる限り「読み飛ばす」ということはありません。その分、和訳を読んでいる時よりも精密に著者の思想を解釈できるのです。

哲学演習の魅力

哲学演習の魅力は、なんと言っても哲学者の書いたテキストの奥深さに触れられるという点にあります。

本は、物理的にはただの紙とインクの集合体です。

しかし、私たちが紙とインクから意味を読み取るとき、テキストは多様な顔を見せるようになります。

あるときは、テキストを読んでも「なんだこれ、意味がわからん」としか思わなかったのに、しばらく時間が経ってから読むと面白いように意味がわかるようになる。

あるいは逆に、最初はわかりやすかったのに、途中から意味が分からなくなってくる。

「わかる」と「わからん」を往復する中で、実にいろいろなテキスト解釈が見えてくるのです。

1つのテキストを読み込むことで、際限なく大きな読解の可能性が見えてくる。このロマンには何物にも替えがたい魅力があります。

みなさんも、哲学演習を履修する機会があれば、ぜひ1つのテキストからたくさんの読解可能性を引き出してみてください。

精読すれば精読するほど、あなたにしか見えない世界が見えてくるはずです!

哲学演習でおすすめの本

最後に、これから哲学演習を履修する予定のある人におすすめの本を3点紹介します。

哲学演習に参加するには、哲学書をそれなりに読み慣れておく必要があるので、比較的短くて読みやすい哲学書を紹介しておきます。ぜひ手にとって、自分なりに精読してみてください。

  • プラトン著:久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』、岩波書店、1927年。
  • デカルト著:谷川多佳子訳『方法序説』、岩波書店、1997年。
  • ショーペンハウアー著:斎藤忍随訳『読書について 他二篇』、岩波書店、1983年。

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