はじめに:漢文を読むときに役立つ中国史の基礎知識を解説!
みなさん、漢文は得意ですか?
漢文が苦手な人の中には、読んでいるときに「そもそもこの話は何をテーマにしてるんだっけ?」と混乱した経験のある人もいるでしょう。
どれだけ漢文の文法に関する知識を持っていても、文章で扱われているテーマや背景知識がないと、どうしても読みづらくなってしまいますよね。
そこでこの記事では、漢文を読むときに役立つ中国史に関する基礎知識をわかりやすく解説します!
漢文が苦手な人、漢文に関する背景知識を身につけたい人、もうすぐ試験がある人は要チェックです!
目次
中国史に関する漢文基礎知識
この記事では、中国史に関する漢文の基礎知識を「朝廷」・「地方制度」・「科挙制度」・「家族構成」という4つのテーマから紹介します。
自分で自信がないと感じるテーマから読むようにしてくださいね〜!
中国史に関する漢文基礎知識①:朝廷
殷周時代の朝廷
殷周時代の中国には、それぞれの地方に小さな集団があり、数ある集団の中で最も勢力の大きい集団が他集団に対する支配権を得て王朝を作り、その最大勢力が「王」と呼ばれていました。
最大勢力の地方が王朝となり、それ以外の集団は「国」となり、「国」の長は「諸侯」となりました。
「王」と言うと他の地方勢力を従属させて強い支配権を振るう人のように聞こえますが、実際のところ「王」は他の集団をそれほど強く支配しなかったそうです。
「王」はあくまで最大勢力の集団の長であり、それ以外の集団にはあまり干渉しなかったと言われています。まだまだ国家の支配が緩やかな時代だったのですね。
秦代以降の朝廷
古代中国では国王の支配が緩やかでしたが、秦代以降の中国では中央集権制が採用され、徐々に王の支配は強まっていきました。
秦代・唐代以降の中国における朝廷には、トップに天子(皇帝)がいて、その下に宰相(丞相)と言う政務官がいました。
宰相はいわゆる「三権」(立法権、司法権、行政権)の全てを握る強力な政治家ですが、1人だけ任命されるわけではなく、必ず複数人が任命されていたようです。
権力が集まりすぎて政治が暴走するのを避ける狙いがあったわけですね。
秦代から唐代へと時代が進むにつれて、朝廷で政治を行う官僚のヒエラルキーはだんだんと複雑になって行きました。
最初はシンプルに宰相だけだったのが、唐代になると「三省六部」という複雑な制度が作られるようになりました。
三省六部とは、
- 「尚書省」(行政)
- 「門下省」(法令の発布)
- 「中書省」(事務)
の三省と、
- 吏部(人事)
- 戸部(総務)
- 礼部(宗教・教育)
- 兵部(軍事)
- 刑部(法律)
- 工部(一次産業)
の六部からなる官僚制度です。
それぞれの部門を覚え切る必要はないので、三省六部と呼ばれる制度があったことをしっかり覚えておいてください。
中国史に関する漢文基礎知識②:地方制度
漢代の地方制度
漢代の中国において、地方は「国」と「郡」の2つに分類されていました。
「国」は、皇帝(天子)の兄弟が「王」として君臨する特殊な地域でした。
国の中で王は自治権を持っており、一種の自治区としての特権を持っていたようです。
一方「郡」は日本の「県」に当たる組織で、朝廷から派遣された太守・丞(じょう)などが統治に当たっていました。
「郡」の下には「県」という組織がありました。郡と県は、日本とはちょうど逆の関係になっていますね。
唐代の地方制度
「国」と「郡」という二大組織があった漢代とは違って、唐代には1つの統一された地方行政組織が作られるようになりました。
唐では、まず国土が10の「道」に分けられ、「道」の中に「州」という下部組織が作られました。
「州」の中で特に勢力の強い地域は「府」と呼ばれ、州や府の下には「県」という組織があったようです。
大きい順に 道>州=府>県という構成になっていたわけですね。
このように細かく区分けされた地方には、警備のために「藩鎮」という軍事組織が作られ、藩鎮の長官として「節度使」が朝廷から派遣されていました。
藩鎮と節度使は(なぜか)漢文でよく出題されるので、地方行政の仕組みと併せて頭に入れておきましょう。
中国史に関する漢文基礎知識③:科挙制度
3つ目は科挙です。科挙とは官僚を選抜する試験のことですが、中国の官僚は「上級官僚」と「下級官僚」の2種類がありました。
上級官僚(「官」とも呼ばれる)とは、試験によって選抜された官僚のことで、出世コースに乗れば最終的に宰相まで進めます。現代日本でいうところの「官僚」は上級官僚に当たりますね。
一方の下級官僚(「吏」とも呼ばれる)は、試験によって選抜されるわけではなく、親が就いている役職を引き継ぐ形で仕事をする役人のことです。
世襲制なので試験を受ける必要はありませんが、親から受け継いだ役職以外に就くことはできませんでした。
このように、官僚は上級官僚と下級官僚に分かれており、上級官僚を選抜するための試験として「科挙」が整備されました。
科挙の試験は専門職の試験と一般職の試験に分かれており、一般職の試験は「進士の科」と呼ばれ、出自に関係なく受験できることもあり、数十倍〜百倍程度の競争率を持つ超難関試験だったようです。
進士の科に合格して上級官僚になることが、宰相になるための王道ルートとされていたので、優秀な人物はこぞって進士の科を受験しました。
もちろん試験勉強のためには時間と経済力が必要だったので、実際には誰でも進士の科を受験できるわけではありませんでした。
しかしそれでも、科挙は優秀な人物を出自にかかわらず選抜できる優れたシステムだったため20世紀初頭まで継承されていくことになります。
中国史に関する漢文基礎知識④:家族構成
最後に、中国の伝統的な家族構成について説明しておきます。
家族の系譜
中国では伝統的に大家族制が維持されていたので、一族の系譜は重要な意味を持っていました。
一族は、姓(ファミリーネーム)の下に「氏」をつけて表現します。とはいえ同姓の人も多かったですから、その場合は家族の出身地の郡名をつけて分類しました。
「四川の李氏」とか「清河の王氏」とか「河東の張氏」とかですね。
同姓の家族を区別するこのような郡名を「郡望」といい、郡望は一族のアイデンティティとして重要視されていたようです。
異なる家族の分類の仕方がわかったところで、次は家族内の人間関係を見ていきましょう。
中心になる人物から見て、祖父は「祖」、父は「考」といいます。
兄弟は、年長ならば「兄」、年少ならば「弟」になりますが、「伯」や「叔」などの呼び方もあります。
ちなみにいとこに関しては、日本と同じように「従」の字をつけて呼んでいたようです。
日本と似ている部分がある一方で、全く違う部分もあるので注意しましょう。
個人名の呼び方
最後に、特定の個人の名前の呼び方を見ておきましょう。
漢文の教科書では、特定の個人の呼び方を以下のように紹介しています。
李白。字は太白。号は青蓮居士。
李白の場合、「李」が姓で「白」が名前ですが、中国では名前のことを「諱(いみな)」と呼んでいました。
中国では伝統的に、他人の諱を口にすることはタブーであるとされてきたので、他人が自分を呼ぶときには諱以外の名前が必要でした。
そこで作られた別の名前が「字(あざな)」です。李白の場合、他人が李白を呼ぶときは「李太白」と呼んでいたわけですね。
人によっては、諱と字以外に「号」という別名をさらに作ることもありました。諱と字は親がつける名前ですが、号は自分で好きなようにつけられます。
李白の「青蓮居士」以外にも、欧陽脩が「六一居士」と名乗ったり、蘇軾が「東坡居士」と名乗ったりしていました。
二つ名を欲しがるのは、いつの時代も変わらないようですね。
おわりに:漢文を読む上で役に立つ中国史の基礎知識まとめ
いかがでしたか?
この記事では、漢文を読む上で役に立つ基礎知識を、「朝廷」・「地方制度」・「科挙制度」・「家族制度」の4つのテーマから紹介してきました。
漢文の知識は、知れば知るほど漢文を読むときに役立ちますし、何より漢文を読むのがもっともっと楽しくなります。
この記事で紹介したのはほんの一部に過ぎないので、もしもっと漢文の知識を知りたいと思ったら、以下に挙げる参考書もぜひ読んでみてくださいね。
それでは!!
- 一海知義『漢詩入門』岩波書店、1998年。
- 前野直彬『漢文入門』筑摩書房、2015年。
- 前野直彬『精講 漢文』筑摩書房、2018年。