はじめに
皆さんは、古文を勉強する必要性について疑問に思ったことはありませんか?
他の科目と違い、古文は日常生活の中で直接目にする機会が少ないため、必要性を実感しづらいですよね。
筆者は受験生時代、国語の中でも古典(古文・漢文)の勉強を重要視していました。
大学生になって古文を勉強する機会はなくなりましたが、古文の基礎知識が役立っている実感があります。
今回は、その経験をもとに、日常生活、教養、受験戦略という3つの視点から、古文を勉強する理由を解説していきます!
目次
古文と日常生活
私たちが普段使っている言葉は、古文に由来している
私たちが普段使う日本語にも、古文の文法は深く残っています。
例えば、受験生の皆さんは、副助詞の「だに」を習ったことがあるかもしれません。
現代語では「〜さえ」と訳しますね。
実は、この「だに」は、現代でも「微動だにしない」「予想だにしない」などの形で使われています。
また、古文に由来する表現は、エンタメの世界にも広がっています。
たとえば、ハリー・ポッターには、「許されざる呪文」という表現が登場します。
ここでいう「ざる」は何を表すでしょうか。
そう、古文で習った、打ち消しの助動詞「ず」の連体形ですね。
このように、古典文法が援用されている表現はエンタメの世界にも多いんですよ。
近代小説や説明文などの慣用表現にも古文由来のものがある
古文で頻出の「袖を濡らす」「枕を濡らす」という表現について考えてみましょう。
これらは慣用表現であり、どうして濡れたのかは明示されていませんが、古文を勉強した人なら「涙で濡れた」ことが分かるはずです。
「泣く」という一言では伝えきれないニュアンスがあることを感じられますね。
古文を学んでおくことで、小説などでこうした表現が出てきたとき、戸惑うことなく理解することができます。
また、反語の感覚が身に付くことも古文の利点です。
徒然草の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という表現を見てみましょう。
これを現代語訳すると、「花は満開のときを、月は満月のときだけを見るものだろうか、いや、そうではない」となりますね。
「いや、そうではない」の部分が反語表現にあたります。
同じように、現代文の評論で「しかし、本当にそうでしょうか」などと書いてあるときも、それは反語表現であるといえます。
評論の筆者が「そうではない」と思っていることがすぐに分かりますね。
こうした反語の感覚は、古文を学ぶからこそ身についていくものだといえます。
日本の地名や地形が頭に入る
古文に登場する日本の地名として、一番想像しやすいのは京都や奈良でしょう。
百人一首にゆかりの深い小倉山、『平家物語』に登場する三十三間堂、清少納言の『枕草子』で扱われる清水寺などは、現在でも観光名所であり、目にする機会は多いはずです。
他にも、松尾芭蕉『おくのほそ道』に登場する日光東照宮や今泉などの名所は、誰もが一度は見たり聞いたりしたことがあるはずです。
こう考えると、古文も少し身近なもののように感じてきませんか?
古文と教養
大学入学以降も古文は使う
古文を使うのは大学入試までだという考えは、大間違いです!
大学で古文を使うのは、文学部に進む人だけではありません。
一例として、史学や地理学で古い史料を扱う機会があることは想像しやすいかもしれませんね。
それ以外にも、たとえば法学を学ぶ上では、大正時代・昭和時代の複雑な法律や判決文を読む必要があります。
理系であっても、日本のこれまでの研究の歴史を無視して新しい研究をしていくことは不可能です。
大学でどの科目を学ぶにしても、古文のある程度の知識は不可欠なのです。
さらに、就職後も、古文知識があることは皆さんの強みになります。
外国人と関わる職業の場合、私たちは日本人として、日本の歴史や古典に関する知識を持っているものとみなされます。
そうした場面で、中高生レベルの古文知識を持っていると、コミュニケーションが円滑に進むことでしょう。
このように、高校生の現時点の学びは、社会人以降にまで影響を及ぼす可能性があるのです。
古文知識は「常識」として扱われることが多い
古文には有名なフレーズがいくつもあります。
「春はあけぼの」「鳴かぬなら」「兵どもが夢の跡」などは、古文を勉強した人なら、誰もがピンとくる表現であるといえるでしょう。
常識とは、人々の間の共通認識のことです。
こうした常識を共有することで、仲間意識が生まれ、文化が維持・育成されていきます。
「ピンとくる」という感覚を共有し、いちいち説明せずとも会話がスムーズに進むことが教養を持つ意味であり、利点です。
古文には、こうした教養がたくさん詰まっているんですよ。
古文と受験戦略
国語の得点を伸ばしたいなら古文に注目
受験戦略的な視点からも、古文は成果の出やすい科目であるといえます。
本格的な古文の授業が始まるのは高校生からなので、他の科目に比べて習熟度の差が付きにくいです。
つまり、今もし古文が苦手だったとしても、追いついて逆転するチャンスはまだまだあるのです。
また、古文は勉強法が比較的分かりやすいという利点もあります。
「読めるけれど解けない」現代文と違い、古文では、どこが読めないのかを分析することで、確実に成績を伸ばせるのです。
さらに、受験科目に「古文」がなくても、古文知識が必須である場合もあります。
たとえば、森鴎外の『舞姫』は、古文ではなく現代文の教科書に載っています。
しかし、「石炭をば早や積み果てつ。」という書き出しからも分かるように、古文の文法知識がなければスムーズに読むことは難しいでしょう。
このように、現代文でも、古文の知識が要求される場合があります。
古文が受験の勝敗を分ける可能性も
よくいわれることですが、受験は小数点以下の点数で争うことも少なくありません。
実際、筆者も0.5点差である大学に落ちた経験があります。
共通テストの古文は、1問の配点が5点など、かなり大きい場合もあります。
2次で使わないからと古文を捨てると、共テであと1問取れれば受かったのに……というときに後悔してもしきれませんよね。
逆に、しっかりと古文を勉強しておくことで、難化していた場合にさっさと見切りをつけられるという利点もあります。
おわりに
高校生の皆さんが古文を難しいと感じるのは、ごく自然なことです。
古文は日本語ではあるものの、文法、単語、書かれた背景すら、現代の私たちの読み書きする言葉とは異なります。
でも、だからこそ、古文を理解すると今まで見えなかった世界が広がっておもしろいのです。
古文の勉強は、決して無駄にはなりません。
受験という短期の目線でも、人生という長期の目線でも、古文の勉強は勉強時間以上の価値があるといえるでしょう。
まずは現代語訳でもいいので、古文の世界に触れることから始めてみてくださいね。