高校生当時の私
【高校生当時の私①】中高一貫生の受験勉強
私は中高一貫校出身なのですが、中学入学後は中弛みしてしまい、基礎はボロボロでした。
そこで、中3で塾に入ってみたものの、講師との相性が良くなく、その後は自分に合う塾を探してさまざまなスタイルの塾を転々とし、居場所が定まりませんでした。
結局、きちんと知識をつけられずに高1までをフラフラと過ごしたことは大きな反省点です。もっときちんと塾を見極めるべきでした。
また、同時に私には勉強習慣がありませんでした。
勉強のやる気が出た週は一気に頑張るのですが、次の週は反動でスマホにかまけてしまう……というモチベーション頼りの勉強をしていました。
中高一貫という高校受験のない安心感に浸るのではなく、常に勉強を当たり前の行為としておくべきでした。
【高校生当時の私②】やりたいこと全部にチャレンジして経験した苦楽
高校2年生の私は、部活を掛け持ちし、双方でリーダーポジションに就いていました。
元々人に頼られるのを嬉しく感じるタイプなので、毎日充実した日々を過ごしていました!
しかし、その楽しさとは裏腹に仕事量は膨大なものとなり、勉強時間こそ確保しようと努力していたものの、ただ量をこなす作業に徹してしまっていました。
また、高3の文化祭でも後輩のサポートにかなりの時間を費やしてしまいました。
部活と後輩のために割いたこの時間はとても充実していた一方で、高3秋に自分の勉強時間を蔑ろにしてしまったという感覚もありました。
周りからは勉強から逃げているようにしか見えなかったでしょうし、私自身、あの時間が無駄だったのか、結論は出ないまま現在に至っています。
失敗の原因
【失敗の原因①】時間をかけすぎた志望理由書
私は高1の頃から京大文学部志望で、高2冬に京大の総合型選抜、つまり「特色入試」への挑戦を決めました。
特色入試では、「学びの設計書」といういわゆる志望理由書の提出が課されます。
これは、大学で学びたいこと、それにつながる高校時代の経験、将来やりたいことなどを1500字でまとめ上げるものです。
この学びの計画書の原稿を先生に添削していただいた際、「その考えは封印しなさい」という厳しい言葉をいただいてしまい、自身の倫理観を疑うようになりました。
これは今も残るある種のトラウマとなっています。
その結果、自分の学びたい学問や進みたい進路に自信を持てなくなり、高3夏まで学びの設計書の執筆から逃げ回るようになってしまいました。
自分には向いていないと思ったときには、すぐに損切りをするという勇気を持つことも必要です。
【失敗の原因②】夏A判定も、メンタル悪化で秋にはE判定
私は、特色入試の準備と並行して一般入試の勉強も行っていました。
中弛みからのスタートだった私でしたが、高2の秋の部活引退後は、それなりに勉強に真面目に取り組んだ結果、夏の京大オープン模試でA判定を取ることができました!
しかし、この結果は国語が極端に良かっただけで、他は油断できない状況でした。実際、同時期に受けた京大実戦模試ではD判定でした。
それでも、徐々に成績が上がっていると錯覚し、誤った自己評価を自分に向ける
ようになってしまいました。
その一つが、「京大合格は決して夢物語ではないのだから受からなければならない」という焦りです。
その結果、7月末に「心の不調」を感じるようになりました。
急激な胃痛を起こしたことにより、ストレスが溜まっていることにはじめて気がついたのです。
それまで、メンタルを崩した経験がなかったので対処法がわからず、勉強すること自体に恐怖を抱くようになりました。
また同時に、PMS(月経前症候群)もひどくなり、月のうち1週間は学校に向かう電車の中で泣くようになっていました。
婦人科の受診も遅れ、お薬によって症状が落ち着いた頃には12月になってしまっていました。
試験当日のようすと不合格の瞬間
【試験当日のようすと不合格の瞬間①】特色入試本番ってどんな感じ?
特色入試は12月に行われ、事前に提出した学びの設計書を基にして解く論文試験と、英語を含む論述試験の2つが課されます。
自分の興味関心を突き詰めることはもちろん、要約力やその場で意見をまとめる論述力が必要となる試験です。
私は秋口からろくに勉強に集中できない状態に陥っていたため、特色入試に向けての対策も全く不十分なまま当日を迎えてしまいました。
当時は、目標に向けて努力しきれなかった自分への後悔と諦めを強く感じましたが、それとは別に「落ちる理由がある」と安心してしまった自分もいました。
メンタル悪化を経て、その頃には京大への執念が消え、「健康に生きていられればいい」と諦念に達してしまっており、貪欲になることができなかったのです。
それが要因となり、背負うものはなくなっていたので、ある意味「緊張せずに」試験に望むことができました。
本番の問題はさらに自己理解が深まる良問でした。
解き進めていくうちに、自分のやりたいことがさらにはっきりしてきてとてもワクワクしたのを覚えています。
自分の信念を失っていたわけではなかったので、試験終了後は清々しい気持ちで京都を後にできました。
【試験当日のようすと不合格の瞬間②】共通テスト失敗 & 2月の怒涛の合格・不合格宣告
特色入試から1ヶ月が経ち、今度は共通テスト本番を迎えました。
結果は820点。京大に出願するならば850点は欲しいところです。
しかし、12月は本調子で勉強ができていたので、点数を目にしてもなお、「自分にできることは出し切った!」と思うことができました。
一方で、出願校変更が現実となった時に、3年間憧れてきた京大を浪人覚悟で受けるという選択肢を貫かない自分は「逃げている」と厳しい目を向けてしまったこともありました。
最終的には気持ちを切り替え、国公立前期は、文系でも受験可能なお茶の水女子大学共創工学部に出願しました。
特色入試の合格発表の際には、もう腹は決めていたので、「不合格」の文字を見ても悲しむことなく、すぐにお茶大対策に戻ることができました。
不合格になったからこそ分かったこと
【不合格になったからこそ分かったこと①】志望理由書を通して知った本当の目標
私は結局京大に「不合格」という結果に終わりましたが、挑戦したことを後悔してはいません。
不合格にならなければ分からない多くのことに気づけたからです。
私は宗教哲学を学びたいと考えて京大文学部を目指しましたが、学びの設計書の執筆を通して、より生活に即した領域に目を向けるようになり、アカデミックな世界と日常を繋ぐことができるような学びと活動がしたいと考えるようになりました。
工学部に出願した理由は、その変化に関係しています。
プログラミングや数学という武器を手に入れられるのはもちろん、私の入学した学科はさらに人文系知識との協働を図る学びを展開しているため、自分にぴったりだと感じたのが決め手でした。
現在は、「元文学部志望の女子工学部生」というアイデンティティを活かし、社会に貢献したいと考えています。
【不合格になったからこそ分かったこと②】京大に落ちた私が今考えること
今の私は、京大に行った世界線の自分に勝とうと努力を続けています。
どの大学に行っても、それまで積み上げてきた「自分」は切り離せません。
それならば足踏みせずに、京大に行った場合の自分よりも成長したいと考えています。
京大を目指していたからこそ、お茶大に受かることができて今の楽しい大学生活があります。
たとえ、第一志望に届かなかったとしても、それまでの全ての経験は無駄でないと実感しました。
これからも、受験生活の全てを糧にして前へ進んでいきます!