はじめに:これだけ知っとけ!古文常識まとめ
みなさん、古文を読んでいるときに、注釈が付けられていない固有名詞の意味がわからなくて困った経験はありませんか?
「透垣」とか「簀子」とか「唐衣」とか、いざ具体的に説明しろって言われたら難しい古文特有の固有名詞ってありますよね。
そこでこの記事では、古文を読むときに知っておくと便利な古文常識を、庭・建物の構造と男女の服装に焦点を当てて解説します!
古文をもっとスラスラ読めるようになりたい方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね〜。
目次
知っておくと便利な古文常識まとめ
知っておくと便利な古文常識まとめ①:寝殿造りの庭の構造
古文に登場する貴族は、「寝殿造り」という建物に住んでいました。
「寝殿造り」とは、「寝殿」を中心に「北の対」・「東の対」・「西の対」という建物を周囲に併設した構造のことを指します。
ここで「南の対」はないのかと思った方、その通りです。南には建物がなく、庭が形成されているのです。
建物の構造上、南側が手前になっており、この南側のスペースが庭園として利用されていました。
当時の貴族たちは、庭を綺麗にするべく様々な意匠を凝らしていました。この記事では、貴族たちが意識して作っていた庭の中にある重要なものを紹介していきます。
前栽
前栽(せんざい)とは、庭の植え込みのことです。
古い家だと、今でも軒先に緑が生い茂っていることがありますよね。あの木々のことを「前栽」といい、その前栽の源流が平安の貴族の邸宅にあるわけです。
遣水
遣水とは、池や川から水を引き入れ、庭園内に流れるようにしたものです。要するに、人工的に作られた小さな川のことですね。
家にいるときに、川の流れる穏やかな音が聞こえたら風情がある感じになりますよね。貴族たちは、その風情を求めて遣水を作っていたわけです。
築地
築地(ついじ)とは、邸宅の周囲を取り囲む泥土の塀のことを指します。
当時の築地は剥がれ落ちやすく、剥がれた隙間を通って男性が女性に会いにいくということもあったそうです。なんともロマンチックな話ですね。
ちなみに、「つきじ」ではないので注意してください。
透垣
透垣(すいがい)とは、木製の板や竹で隙間を少し開けながら編まれた垣根のことです。
隙間が開いているので、内側が「透けて」見えます。そのため、貴族の男性たちはこの隙間から女性たちを「垣間見」(覗き見)していたようです。
透垣は、物理的にも精神的にも「隙」のある構造だったのですね。
知っておくと便利な古文常識まとめ②:寝殿造りの建物の構造
ここでは、寝殿造りの建物の構造を解説していきます。
簀子
寝殿造りの建物には、入り口に「階」(きざはし)という小さな階段が付けられています。
この「階」を昇ると、「簀子」(すのこ)というスペースに行き着きます。
簀子は簡単にいうと縁側のような場所で、建物全体をぐるっと囲んでおり、建物の内部と外部を繋ぐ役割をしていました。
寝殿造りの建物の一番手前のスペースが簀子であることを、よく覚えておきましょう。
格子
簀子(縁側)から建物の中に入るにはドアが必要ですが、寝殿造りの建物で利用されていたドアのことを「格子」と呼びます。
格子にはいろいろ種類があって、代表例として「蔀」(しとみ)・「遣り戸」(やりど)・「妻戸」(つまど)があります。一つずつ見ていきましょう。
蔀は上板と下板で構成されています。下板は固定されており、上板は天井から吊り下げられていて、上板を外側に吊り上げて入るような作りになっていました。
遣り戸は、横にスライドさせて開閉するタイプのドアです。現代でも一般的な形式ですね。
妻戸は左板と右板で構成されているドアです。左板は左側の柱に、右板は右側の柱に留められていて、外側から両板を押すことで開く仕組みになっています。こちらも現代でよく見る形式ですね。
蔀・遣り戸・妻戸は宮中での生活を描く作品では頻出なので、読み方と併せてしっかり覚えておきましょう。
廂の間
簀子から格子を開けて中に入ると、「廂の間」(ひさしのま)というスペースがあります。
廂の間は、外から客人が来る簀子と、内側でその建物の主人が暮らすスペースとを繋ぐ場所で、主に女房たちが客人や主人の世話をするために使われていました。
ちなみに、建物に住む女性を求めて貴族の男性がやってくるとき、女性との仲がある程度親密になってくると、簀子から廂の間へ入ることが許されたそうです。
廂の間は、男女の出会いの場でもあったわけですね。
塗籠
廂の間からさらに内部へ進むと、「塗籠」(ぬりごめ)と「母屋」(もや)という2つの部屋に行き着きます。
このうち塗籠は土でできた壁で覆われた閉鎖的な小室で、基本的には寝室として(まれに衣類などの収納場所として)用いられていました。
塗籠は「夜の御殿」とも呼ばれていました。「夜の御殿」が何かわからない人は、以下の記事を確認して覚えてくださいね。
母屋
寝殿造りの建物の中心にあるのが「母屋」(もや)です。
母屋は主にその建物の主人が居住する空間として使われていました。
現代でも「母屋」と「離れ」という構造を持つ家は残っていますが、その源流が寝殿造りの建物にあるわけです。
御簾
御簾(みす)は現代でも使われている「簾」と同じもので、細く削った竹などを糸で編み、上から垂らして日除け・目隠しにする道具です。
例えば、平安貴族たちは夏の暑い時期になると、格子を開けた上で部屋の内部が見えないように御簾を垂らしていたようです。
現代の私たちが、夏に窓を開けて網戸にするのと同じような感覚だったのでしょうね。
知っておくと便利な古文常識まとめ③:男性の服装
ここからは、貴族の男性の服装について解説していきます。
束帯
天皇や貴族の正装を束帯(そくたい)といいます。
頭には「冠」を被り、手には「笏」(しゃく、細長い白い板)を持った厳かな姿です。
基本的に昼間に着る衣装なので「昼の装束」とも呼ばれます。ちなみに、束帯が少しカジュアルになったバージョンの衣装を「衣冠」と言います。
束帯は、服装に関する表現の中では最も重要なので、しっかり覚えておきましょう。
直衣
直衣(のうし)は、正装の束帯とは違って、比較的自由度の高かった服装です。
直衣姿において頭にかぶる帽子を「烏帽子」と言います。冠の形をシンプルにしたものが烏帽子だと考えてください。
また、直衣姿の男性を描写するときによく出てくるのが「指貫」です。指貫は袴の一種で、普段着として使えるようカジュアルな装いになっています。
直衣と、烏帽子・指貫について、しっかり押さえておきましょう。
狩衣
直衣姿をさらにカジュアルにしたのが「狩衣」(かりぎぬ)です。
その名の通り、元々は狩りのために着られていた服装で、動きやすいのでそのまま普段着として活用されるようになりました。
ただし、狩衣姿への御所への立ち入りは禁じられており、あくまで「私服」という扱いだったようです。
知っておくと便利な古文常識まとめ④:女性の服装
最後に、平安時代の貴族女性の服装についてまとめておきます。
唐衣
貴族女性の正装を「女房装束」(にょうぼうしょうぞく)・「十二単」(じゅうにひとえ)と言います。
十二単(女房装束)を構成する衣服の中で、一番上に着用する腰丈の着物が「唐衣」です。
一番人目につく着物なので、唐衣の衣装は女性の正装の象徴とされていました。
裳
大河ドラマや時代劇で、十二単姿の女性が、裾がやたら長いスカートを引きずって歩いているのを見たことはありませんか?
裾がやたら長いこのスカート(のようなもの)を「裳」(も)と呼びます。
唐衣と裳を合わせることで正式な服装(女房装束)となり、一人前の女性として認められます。
そのため、唐衣と裳を初めて合わせる行為は「裳着」として儀式化され、厳かに行われていたそうです。
小袿
正装として着用されていた十二単に対して、準正装として着られていたのが「小袿」(こうちき)です。
十二単と違って、小袿姿は、上着としての「小袿」とスカートとしての「袿」だけで構成されるシンプルな装いでした。
汗衫
唐衣・小袿よりさらに薄手の、女児用の上着を「汗衫」(かざみ)と言います。
元々は汗をとるためのインナーとして着用されていましたが、着やすい上着だったため、次第にカジュアルな上着として認められるようになったようです。
おわりに:古文常識を知れば、古文がもっと楽しくなる
いかがでしたか?
この記事では、古文を読む上で役にたつ知識を、「庭・建物の構造」と「宮中の人間関係」に焦点を当てて解説しました。
この記事で紹介した古文常識を押さえておくと、古文の内容がよりイメージしやすくなります。
内容がイメージしやすくなれば、古文を現代の小説のようにリアルに楽しめますので、ぜひ古文常識を覚えてみてくださいね。
それでは!!